芹沢俊介先生/2018年4月(670号)〜連載中
【コラムニスト紹介】
(せりざわ・しゅんすけ)1942年東京都生まれ。評論家。上智大学経済学部卒業。家族や教育、犯罪などに関して積極的に発言を続ける。
著書に『家族という意志』(岩波書店)、『ピノコ哀しやー手塚治虫ブラックジャック論』(五柳書院)、『親殺し』(NTT出版)、『愛に疎まれて』(批評社)、『子どものための親子論』(明石書店)など他多数。
第1回 〜思考停止という眠りに〜 2021/9/14
第2回 ~共通の発生要因として~ 2021/9/16
第3回 ~自分自身を裏切った二人~ 2021/9/17
第4回 ~家族は信仰の敵なのか~ 2021/9/21
第5回 ~順次生は生きる命に現れ~ 2021/9/24
第6回 ~もう一つの親鸞像~ 2021/9/28
第7回 ~業縁の有無によって~ 2021/9/30
第8回 ~親鸞と唯円のすれ違い~ 2021/10/4
第9回 ~”愚禿”親鸞の誕生~ 2021/10/6
第10回 ~波の上に建てられた信~ 2021/10/8
第11回 ~信仰者が陥る”落とし穴”~ 2021/10/15
第12回 ~親鸞慕う念仏者たちの初心~ 2021/10/18
第13回 ~用法の異なる三つの”あやまって”~ 2021/10/22
第14回 ~意図せず”造悪的”な行動に~ 2021/10/25
第15回 ~”極小の悪意”の形とは~ 2021/10/28
第16回 ~業縁にせきたてられて~ 2021/11/1
第17回 ~情愛の力を奪う障壁~ 2021/11/4
第18回 ~不可避な”本願ぼこり”~ 2021/11/8
第19回 ~造悪論者への本質的な批判~ 2021/11/12
第20回 ~信心決定の核にあるもの~ 2021/11/16
第21回 ~”未生怨”と呼ばれた男~ 2021/11/19
第22回 ~阿闍世とオイディプス~ 2021/11/22
第23回 ~父を殺す五逆の阿闍世へ~ 2021/11/24
第24回 ~悲劇のほんとうの発端~ 2021/11/29
第25回 ~信心の外套をまとった取引~ 2021/12/3
第26回 ~植松聖に届けたい言葉~ 2021/12/7
第27回 ~功利的念仏観の限界~ 2021/12/10
第28回 ~最劣等者の己への自覚~ 2021/12/15
第29回 ~人びとの念仏観に潜む病~ 2021/12/17
第30回 ~“くびき”を取り払う言葉~ 2021/12/22
第31回 ~医療という聖道の慈悲~ 2021/12/28
第32回 ~絶対的な無力感の自覚が~ 2021/12/31
第33回 ~自業自得という発想~ 2022/1/11
第34回 ~欲望心は”我”への執着~ 2022/1/13
第35回 ~和讃の語外にこめた警告~ 2022/1/17
第36回 ~愚禿を軸とした”転倒”~ 2022/1/21
第37回 ~コロナを現代の鬼の問題に~ 2022/1/25
第38回 ~鬼神化への過程と帰依~ 2022/1/28
第39回 ~真理をめぐる論法を~ 2022/2/1
第40回 ~考えた御蔭で入れない境界~ 2022/2/4
第41回 ~自分の覚悟・姿勢~ 2022/2/8
第42回 ~観音の救いに求めて~ 2022/2/14
第43回 ~妻問する機会を供した場~ 2022/2/21
第44回 ~非僧非俗というあり方~ 2022/2/28
第45回 ~不退転の愛を感じ取り~ 2022/3/7
第46回 ~“唯除”に対する疑念~ 2022/3/15
第47回 ~逆説的に唯除五逆を~ 2022/3/29
第48回 ~”つみ・とが”を露出し~ 2022/4/8
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