もう一つの親鸞像

不信と信を揺れる―親鸞で読む人間模様   芹沢俊介

 「ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなり」(『歎異抄』第五章)

 ここにおける「有縁を度す」の意味を自分なりに消化するのに、二つばかり言葉を補う必要があった。「探しだして」と「再会する」である。すると「有縁を度す」は、「どこにいるかわからない両親を・探しだして・救い・そして再会する」というように、一連の事象の流れとして認識できるようになったのである。

 「神通方便をもって」は、瞬時にという意味合いが主軸である。この言葉によって親鸞は、仏になると、業苦にしずむ両親の居所を探しだし、救い、再会するのに、一瞬の、時と言えない時があれば足りると伝えようとしたのである。私の作業が目論んだのは、その瞬時の出来事に切れ目を入れ、そこに事柄の流れを浮かびあがらせることであった。

 こうして「度す」(救う)の中に隠れていた「探す」「再会」というモチーフが取りだされてみると、おもしろい一面がせりだしてきていることがわかる。六道四生のどこに両親がしずんでいるのか、探しだせないでいる親鸞という、もう一つの親鸞像が露になってきたのである。これは、私にとって、新しい視野の開けであった。

 「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」

 亡き両親と再会したい、会って孝養をつくしたい、それなのに両親が今どこにいるのか探しだせないのだ。右の五章冒頭の親鸞の言葉の裏に、こんな悲しみ、苦悩の情動が張りついている、そのように読み解くこともできそうに思えてきたのである。両親を探しあぐねている親鸞と、再会の道をまっしぐらに進む親鸞が背中合わせになっている。自力の親鸞と他力の親鸞の対比。

 五章を、探すとか再会するという視点で読むように示唆してくれたのは、外と思われるかもしれないが、宮沢賢治であった。賢治にとって二つ年下の妹トシは、最愛の妹というだけでなく、法華経信仰の二人といない同行者でもあった。そのトシを病気で失ったのは、賢治二十六歳のときである。賢治のいくつもの作品には、亡くした妹トシを悲嘆のうちに探そうとする心の動きがくっきり投影されている。

 賢治は最初、トシは六道の最上階、兜卒のいる天にのぼったと考えた。だが、そう考えても気持のおさまりはつかなかった。すぐに、トシと再会したいという激しいねがいが内部にふくれあがってきたのである。ふたたびトシとともに信仰の道を進みたいという願望だ。

 だが、こうしたトシへの強い恋着心は、賢治の信仰心により、おそるべき自分本位の感情とみなされたゆえに、力ずくでねじ伏せられるしかなかった。

 掌編「手紙四」で、小さな妹ポーセの死を受け入れられない兄チュンセは、妹がどこにいるのか探そうとする。どなたかポーセを知りませんか。ところが、ある人がやってきて、そんなチュンセに諭して聞かせたのである。ポーセをたずねることはむだだ。なぜならあらゆる人や魚、けもの、むしなど、みんな、みんな、むかしからのおたがいのきょうだいなのだから。

 そして、こう続けて言ったのだった。「チュンセがもしポーセをほんとうにかあいそうに思うなら、大きな勇気をだしてすべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければいけない。」

 それからさらに、次のように言ってチュンセを勇気づけたのである。「さァ、おまえはチュンセやポーセやみんなのために、ポーセをたずねる手紙をだすがいい。」

 賢治が自ら制圧したトシへの自分本位な再会の思いは、みんなのための再会へと、移し変えらて、蘇えっている。

 探す、再会するというモチーフが縁で、賢治と親鸞は驚くほど至近で出会っていたのだ。

【第6おわり】南御堂新聞20189月号掲載 / 2021/09/28オンライン公開