大阪の芭蕉忌 ―法要と句会―

真宗大谷派難波別院は「松尾芭蕉終焉ノ地」として、古くから俳人たちの心の故郷として親しまれています。

1921(大正10)年に芭蕉翁を偲び「芭蕉忌」法要を勤めて以来、1958(昭和33)年からは「大阪の芭蕉忌」として、毎年法要と句会を営んできました。例年11月第3土曜日に開催している同法要と句会に、有縁の皆さまのご参加をお待ちしています。【投句要綱は下記リンクに記載】

大阪の芭蕉忌 選者紹介

「天地」主宰  

石川 多歌司 先生

(いしかわ・たかし)

1937(昭和12)年滋賀県大津市生まれ。京都大学卒業。現在、俳句集団「天地」主宰。ホトトギス同人、関西ホトトギス同人会代議員。また、公益社団法人日本伝統俳句協会関西支部顧問。大阪俳人クラブ常任理事、滋賀俳句連盟代表幹事。朝日カルチャーセンター中之島教室講師、朝日新聞滋賀俳壇選者なども務める。

「かつらぎ」主宰  

森田 純一郎 先生

(もりた・じゅんいちろう)

1953(昭和28)年大阪市生まれ。長年、当別院の俳句活動を支えた故・森田峠氏の子息で、2013(平成25)年に俳誌「かつらぎ」三代目の主宰となった。同誌は、「大阪の芭蕉忌」初期の選者である阿波野青畝氏が創刊している。現在、公益社団法人俳人協会理事・関西支部長、大阪俳人クラブ常任理事、兵庫県俳句協会常任理事、尼崎文芸祭選者なども務める。

「山茶花」主宰  

三村 純也 先生

(みむら・じゅんや)

1953(昭和28)年大阪市生まれ。慶應義塾大学、同大学院博士課程国文学専攻終了。1997(平成9)年より「山茶花」の主宰を継承。第三句集『常行』にて第26回俳人協会新人賞、第五句集『一(はじめ)』にて第34回詩歌文学館賞、令和元年度、大阪府知事表彰(文化・芸術)を受賞。大阪俳人クラブ副会長、大阪俳句史研究会代表理事を歴任し、現在、大阪芸術大学教授を務める。

石川多歌司

 2023(令和)年大阪の芭蕉忌

◆兼題句◆

俳諧は平明の妙翁の忌

松江市)吉浦 増       

 『虚子俳話』の中で虚子が述べているように、俳句は平明にして余韻のある句でなければならない。平明は平凡ではなく誰にでも分かる表現であり、そして読む人に作者の感動や感慨が伝わる余韻のある句が佳句であります。芭蕉の句は正にそうであって、芭蕉忌に当り改めて平明であることの大切さを再認識されたのであろう。

言の葉の滋味豊かなり親鸞忌

藤井寺市)川原 哲郎    

 親鸞忌に当り、親鸞の教えを説く僧の話を聞いた作者は、滋味溢れる言葉と内容に感動したのであろう。佛教の専門用語を分かり易い言葉で、又難しい内容も分かり易く話されると信徒は愈々親鸞聖人を身近に感じ聖人に帰依することになる。親鸞忌は十一月二十八日であり、京都の東本願寺では二十一日から報恩の法要が営まれる。

膝寄せて心ひとつに報恩講

神戸市)玉手 のり子      

 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の忌日に営まれる大法要が報恩講。親鸞聖人は弘長二年(一二六二年)十一月二十八日に九十歳で入滅された。今では椅子席になった本堂が多いが、まだ畳に座る本堂も多くあり、報恩講では老若男女の信徒が膝を寄せ合って詰めてお参りし、心をひとつにして報恩謝徳をすることに感慨の作者。

席題句◆

蕉翁の遺徳は永久に照黄葉

神戸市)上岡あきら       

 俳聖は元禄七年(一六九四)陰暦十月十二日、旅の途次に大阪難波別院近くの門人宅で亡くなった。談林の俳風を超えて俳諧に高い文芸性を賦与し蕉風を創始し、その間各地を旅して多くの名句と紀行文を残した。それらは今日まで遺徳として残り永久に伝えられるであろうと思う作者。御堂筋の銀杏黄葉が光り輝く大阪の芭蕉忌に参列して改めて芭蕉の遺徳を偲ぶ作者。

風走り風鳴る御堂翁の忌

宝塚市)土居美佐子    

 大阪の芭蕉忌が催された今日十一月十八日は昼間に御堂筋界隈は強い凩が吹き荒れた。凩の吹く時期とは言え行き交う人々を吹き飛ばす程の勢いを「風走り風鳴る」と表現したのが秀逸である。作者は旅の途次大阪で客死した芭蕉を悲しんで凩が吹き荒れたのであろうと感じたのであろう。翁の忌が営まれた当日の天候を見事に捉えた作者の感慨が伝わってくる佳句である。

燭揺らぐ大きさのあり翁の忌

大阪市)香山 直子      

 大阪の芭蕉忌の法要が営まれた難波別院の本堂の祭壇には明々と大小の法灯が灯されていた。法灯は堂の入口から入ってくる風に揺らぎ幻想的な雰囲気を醸していることに翁の忌らしい強い感慨を得た作者なのであろう。何でもない光景に俳人独特の感性で捉えた光景の描写が素晴しく芭蕉忌に参列出来た作者の喜びまで伝わってくるような句であることを称えたい。

森田純一郎 選

 202(令和)年大阪の芭蕉忌

◆兼題句◆

俳諧は平明の妙翁の忌

松江市)吉浦 増     

 芭蕉の同郷の後輩であり、蕉門十哲の一人である服部土芳は、芭蕉の聞き書きを著した「三冊子」の中で、「俳諧は三尺の童にさせよ」という人口に膾炙された俳論を述べています。この意味するところは、手だれの作者、俳句職人になってはいけないとの戒めです。和歌と異なる庶民の文芸である俳句は誰にでも分かるように平明に詠むべきなのです。

手庇に眺むる沖や御講凪

大津市)石川 治子      

 浄土真宗の開祖親鸞聖人の命日である陰暦十一月二十八日に行う法会である報恩講の頃は、穏やかな日和が続くことが多いので、御講凪と呼ばれ、俳句の季語としては冬になります。今ほど交通機関の発達していない頃には、法要に船で参集した人も多かったことと思います。そのような時代を思いながら手庇をして凪の海の沖を眺めていたのでしょう。

送行の僧の足取迷ひ無し

奈良市)角山 隆英   

 旧暦の四月十六日からの九十日間、俗世間を離れ、一定の場所に籠って僧侶が修行に専念しすることを安居と言います。送行とは安居を解くことであり、俳句の季語としては解夏の傍題となります。私の師、森田峠の句に「送行やふり返りまたふり返り」がありますが、掲句の僧はおそらくふり返ることなく夏安居の大寺院を辞したのでしょう。

◆席題句◆

時雨忌の暗がりといふ峠越

高槻市)畠中 俊美     

 大阪から奈良に繋がる暗峠は、私の師であり父でもある峠が好きな場所でした。今はかなり整備されていますが、暗峠に芭蕉忌の傍題である時雨忌という季語を持ってきたところがこの句の良さだと思います。芭蕉忌はこれまでに数多く詠まれて来ていますが、この句のように詠み方一つによって新しい句が生まれる可能性があるのだと思いました。

杖を曳く吾も過客や翁の忌

松阪市)平田 冬か      

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」は芭蕉の俳諧紀行「おくのほそ道」の冒頭の文章として人口に膾炙されています。その中の過客、つまり旅人を意味する言葉を使って詠んだことによって魅力的な句になりました。また、足を少し悪くした作者が「杖を曳く」と言ったことにより、高齢化の進む現代の芭蕉忌を伝えています。

店休み何をおいても翁の忌

東大阪市)道木 憲子  

先師、阿波野青畝の句に「翁忌へ行かん晴れてもしぐれても」という句があります。これは、昭和四十九年の作ですが、天気がどうであろうと翁忌には行こうという強い気持ちを表しています。この入選句も、自分の店を休んででも芭蕉忌に行くのだということを平明でありながら素直に表現している存問の句として作者の気持ちが伝わります。

三村純也

 202(令和)年大阪の芭蕉忌

◆兼題句◆

遺骨なき壺を祀りて生身魂

枚方市)伊瀬知正子      

 この方のご主人は戦死されたのであろう。送られてきた骨壺の中は空っぽで、遺骨は入っていなかった。が、その壺を亡き夫として、お盆の供養を続けられてきたのである。その事実を述べているだけに見えていて、内容は重い。戦後、どういう暮しをされてきたのであろうか。生身魂という季題のお盆らしさを、うまくつかんでいる。

半島の四十二浦お講凪

境港市)景山みどり   

 島根半島の出雲大社から美保神社に至る、四十二の浦々に祀られる神々に参拝する風習がある。古代の巡礼の名残とも、浦々の潮で禊をしたことに由来するともいう。報恩講の季節になると日本海は荒れ始めるが、その日はどの浦もお講凪となった。それも親鸞聖人のご遺徳だと感じているのである。島根県にもご門徒は多いのである。

山積みの捨て蛸壷にちちろなく

大阪市)田島 もり      

 蛸漁に用いた蛸壷の古くなったものが海岸に山積みに捨てられていて、そのあたりからこおろぎの鳴く声が聞こえて来るのである。おのずと、「海士が屋は小海老に交じるいとど哉」「蛸壷やはかなき夢を夏の月」という芭蕉の句が思い出されて、一句に奥行きが生まれているとともに、この句にも「しをり」が感じられる。

◆席題句◆

しぐれ忌へ急ぐしぐれの御堂筋

松阪市)平田 冬か      

 一席にいただきました。時雨を愛し時雨の季節に亡くなったので、芭蕉忌を「時雨忌」とも呼んでいます。今日の情景をうまく詠んでいます。芭蕉忌へ時雨れている御堂筋をやって来た、芭蕉忌らしい時雨になったなあとというような、忌日の句でありながら、芭蕉忌に参加する心の弾みが感じられます。「しぐれ」を重ねて来たリズムも働いています。

物の光言ひ止め難し翁の忌

大阪市)香山 直子   

 「物の見えたる光いまだ心に消えざる中にいいとむべし」という芭蕉の言葉が『三冊子』にあります。私は対象から受けたものを即座に捉える、つまり、直観力ということなんだろうと思っていますが、実際にはなかなか言葉がうまく出て来ないこともあります。「芭蕉さんはそう言いはりますがね」と、実作者の本音として、ちょっと呟いてみたというようなニュアンスが面白いと思います。

翁忌や並木色づく御堂筋

神戸市)田中 由子      

 芭蕉は生前から自分のことを「翁」と称していたので、その忌日を「翁忌」とも言います。この南御堂の門前が終焉の地ですから、芭蕉忌を修するには最適の地という感じです。「御堂筋」という固有名詞によって大阪ということが分かりますし、ちょうど、芭蕉忌の頃は銀杏並木が色づきます。いかにも大阪の芭蕉忌らしい情景が浮かんで参ります。