第4

「観音の救いに求めて」

不信と信を揺れる―親鸞で読む人間模様   芹沢俊介

 ずっと気になっていることがある。親鸞と恵信尼の婚姻についてである。主な疑問は、二つ。一つは、二人の婚姻の形態。もう一つは、恵信が流刑に処せられた男、世俗的には先行き絶望的な男に連れ添った理由である。なぜ、流刑地へと引かれていく罪人に同道したのであろうか。

 どちらの問いも、きわめて重要であるはずなのに、これらに関する的確だと思える答え(=仮説)を筆者はいまだ目にしたことがないし、耳にしたこともない。やむをえず、無謀を承知で、最初の問いから詰めてみる。

 婚姻の形態は、おそらくは、妻問である。男が共寝したいと声をかけ、女がそれを承諾すれば、婚姻が成り立つ。これが妻問婚だ。婚姻とはまずは共寝であった。共寝の機会がその時かぎりになるか、重ねられるかは、あらかじめ約束されない。家と家との結びつきではないからだ(高群逸枝『母系制の研究』『招婿婚の研究』に依拠)。

 二十九歳という男盛りだった親鸞は、二十歳の女恵信に共寝したいという強い感情を抱いたのだった。

 比叡山の堂僧である男にとって悩みどころは、自分が僧であるゆえに、女性との共寝が戒律の侵犯に当たることであった。悩みつつ、堂僧は自分の欲動を抑えがたかった。妻問をすべきか、諦めるべきか、その答えを観音の救いに求めて、男は六角堂に百日、終夜こもることをはじめたのだった。

 六角堂は、聖徳太子が建てたとされる、古くからの庶民の観音信仰の場である。我が国最初の物語集『今昔物語』巻十六には、観音菩薩による庶民救済の話が三十九話集められている。その中に六角堂での出来事が一つだけ出てくる。第三十二話だ。生侍が、鬼に唾を吐きかけられ、透明人間にされてしまうのだが、常日頃六角堂に参って観音菩薩を拝していたおかげで、人間の形を取り戻したという話である。

 比叡山仏教は、『法華経』を最高位に位置づけていた。その『法華経』第二十五番目が「観世音菩薩普門品」である。普門品には、こうある。

 苦境に陥った人が、救いを求めて、一心に観音菩薩の名を称えるなら、菩薩はただちに聞きつけ、窮地から解き放ってくれる。ただ、救うのではない、観音は称名する人の現状に応じた姿と化して、その人の前に現れるのである。普門品はこの力を、三十三の姿をとることができると言う意味で、三十三身と述べている。

 これでわかるように、男が普門品の語る観音力を信じて、六角堂に通ったのは一庶民としても、比叡山の堂僧としても、必然と言えた。男が夢告を得たのは、九十五日目の明け方であった。

 『今昔物語』によると、夢告は次のような順序で訪れる。1、明けがた夢を見る。2、夢の中に貴き僧が出現する。3、聖僧による指示。4、目覚め。5、六角堂を出て、夢告の内容を実行する。6、救いの示現(巻十六・第三十二話)。

 男にも同様なことが起きた。明け方の夢に、観音は聖僧の姿でもって現れた。男が僧であるがゆえに、観音もまた僧の姿に変身し、悩む男に向かってこう告げたのである。「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯」と。私訳すれば、「ここを出たら、まっすぐ女のもとに行き、妻問しなさい」。そして付け加えた「もし断られたら、私が代わりに若い女になってお前に抱かれてあげよう」。

 この付け加えは、男の動機が妻問であるということを告げていた。それはまた、妻問が絶対に断られることはないという意味であった。

 聖僧は、妻問する決意を固めた破戒僧に、さらに言った。一生、おまえを守り、輝かせよう、そして極楽往生を約束しよう(「一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」)。

 男は妻問した女に、この観音の夢告を書きとめ、手渡したのである。女はこの書付けを生涯、肌身放さずにいた。彼女の娘に宛てた手紙が、そのことを物語っていた。

【第42おわり】南御堂新聞202110月号掲載 / 2022/2/14オンライン公開