俳句に親しむ


みどう俳壇

石川 多歌司

 202(令和)年10

雨上がる今日生き生きと夏至の山

(芦屋市)戸田 祐一  

 夏至は六月二十一日頃で、地球の北半球では昼が最も長く夜が最も短い。青葉の山の木々は生き生きとし、まして雨が上がった後の樹木の生気に感慨一入で、盛夏の到来を感ずる作者。


語部の記憶は如実原爆忌

(岡崎市)山崎 圭子   

 日本の終戦時の記憶もさることながら、広島と長崎に落とされた原子爆弾による惨状の記憶はいつまでも忘れることがない。これの語部の記憶は今も鮮明であることに感慨の作者。


腹当や内弁慶のむづかり屋

(大津市)加藤 孝和   

 寝冷えを防ぐために用いる腹掛。腹当をした幼児は、外では意気地がないが、家の中では威張り散らしてむづがり屋であることを微笑ましく眺めている作者。滑稽味のある秀句である。


森田 純一郎 選

 2024(令和6)年9月

道をしへ待つてをれぬと飛び去れる

(川西市)糸賀千代   

 道おしへは人が近づくと飛び上がり、少し先へ下り立って人を振り返るような仕草をし、また飛び上がり、まるで道案内をするようだ。歩みの遅い人の前では待ち切れずに飛び去ってしまうのだろう。


朧夜や遠山動く気配あり

(大阪市)徳永由起子   

 朧夜とは、ぼんやりとかすんだ朧月夜のことであり、春の季語である。少し幻想的な雰囲気を持った季語でもあるが、遠山が動く気配とは面白い捉え方をした句だ。茫洋とした雰囲気が伝わって来る。

盆帰省けふも故山のよく晴れて

(大和高田市)池之内愛   

 久しぶりに帰る故郷の山々は、晴れ渡った空の下にくっきりとその姿を見せているのだろう。快晴の景色を詠んでいると共に、帰省の喜びにあふれた作者の心の中も晴れ晴れとしていると思える。

石川 多歌司 選

 2024(令和6)年8月

茶殻をも一品となす新茶かな

(甲賀市)清野 光代   

 その年に発芽した茶の新芽で作られた茶を新茶と称し珍重される。新茶を煎じたあとの茶殻も新茶のものであるが故に一品として尊ばれるのであろう。新茶を愛し味わう感慨が伝わってくる。

作務の袖濡らす四葩の雫かな

(兵庫県)小林 恕水   

 朝から禅寺の庭の手入れをしている禅僧。四葩の紫陽花には昨夜の雨雫が残っていて庭仕事をする作務僧の袖を濡らすが、これも作務の一つとして避けることが出来ない。禅寺の作務の光景。

湖の波飽きず眺めて浜日永

(大津市)関根 ひろ   

 気候不順であった春も日永の感じられる頃になって湖畔に佇み春を満喫している作者。春らしい波のうねりの湖を眺めていると飽きることがなく四季の一景を愛し楽しむ感慨の句。

森田 純一郎 選

 2024(令和6)年7月

獅子吼園句碑を鎮むる青芭蕉

(豊中市)迫田斗未子   

 獅子吼園は南御堂の境内にある庭園で、俳聖松尾芭蕉の「旅に病んでゆめは枯野をかけまはる」の句碑がある。大きな芭蕉の木が守るように建つ句碑を「鎮むる」と感じ取った作者の感覚を尊重したい。

リモートで母問ふ躑躅咲いたかと

(黒部市)木下陽子   

 施設におられるお母さんとの面会が出来ず、僅かな時間にリモートで話すだけなのだ。「家の躑躅はもう咲いたか」との問いに丁寧に説明してあげているのだろう。長寿社会の切なさを感じる句だ。

青田中水揚げ水車よく回る

(川西市)水口  祭   

 水揚げ水車は、水路の流れによって水車が回転することで、下端で汲んだ水を上端まで持ち上げ、落下した水を樋が受けて水田に水を導く仕組みである。瑞々しい青田の光景が目に浮かぶようである。

石川 多歌司 選

 2024(令和6)年6月

百年の幹の風格濃紅梅

(豊中市)室田 妙子   

 樹齢百年と称される梅の幹には何とも言えない風格がある。古木ではあるものの若木の時と変わらない濃紅梅を咲かせることに感動した作者の感慨が伝わってくる秀句である。

遠蛙早外灯の点く谷間

(芦屋市)戸田 祐一   

 人を余り見掛けない谷間の集落なのであろう。日暮の早い谷間の集落は外灯が早く点される。集落に近い田圃より遠蛙の鳴き声が聞こえてくる静かな田舎の情景の写生句として秀逸。

春塵や眉の律律しき阿修羅像

(宝塚市)土居美佐子   

 有名な国宝の阿修羅を拝した作者。特徴のある眉に見入っていると薄らと春塵があるように感じたのであろう。実際には春塵など積むことはないかも知れないが、そう思った作者の季節感を称えたい。

森田 純一郎 選

 2024(令和6)年5月

吉崎も御文も知らず蓮如の忌

(宝塚市)広田 祝世   

 浄土真宗中興の祖である蓮如上人が滞在し布教された越前・吉崎御坊、またその教義を平易に門徒に伝えた御文(お手紙)などの詳しい知識はないが、毎年盛大に催される蓮如忌には侍るのである。

新顔も少し交じりて蓮如輿

(兵庫県)小林 恕水   

 蓮如上人の肖像画「御影」を輿車に載せて、東本願寺から福井県あわら市の吉崎東別院まで、僧侶と門徒によって運ばれる蓮如輿への参加者も高齢化している。新顔の来てくれた喜びを詠んだ一句だ。

思ひきや雪の彼岸にならうとは

(松阪市)平田 冬か   

 凡俗の生死流転の世界(此岸)から悟りの境地涅槃(彼岸)に至る時期は、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、今年の彼岸には雪の降った地区もあった。上五の「思ひきや」にその驚きが現れている。

石川 多歌司 選

 2024(令和6)年4月

声高に矍鑠を知る初電話

(甲賀市)清野 光代   

 遠く離れた郷里の親との初電話なのであろう。声には今も張りがあり声高で、年老いても丈夫で元気な様子が窺えることに安堵する作者。高齢の父親との初電話であろうと想像する。

戯れに覗く銃眼山笑ふ

(山西市)糸賀 千代   

 敵を射撃するために牆壁や堡塁などの掩護物にあけた穴で城の銃眼がよく知られる。興味本位に覗いた銃眼からは近くの春めいて来た山々が見えて、春の訪れを感じた作者の感慨句。

大寒の被災地になほ余震かな

(大津市)加藤 孝和   

 天日の夕刻、能登半島に大地震が発生した。その後も余震が続き復興はなかなか進まない。非常に寒い日が続く中で復興に尽力する人達に容赦ない余震が絶えないことに気掛かりな作者。

森田 純一郎 選

 2024(令和6)年3月

冬野川沿ひとなるより時雨寒

(桜井市)村手 圭子   

 冬野川は奈良の明日香村を流れ、飛鳥川に注ぐ。山に雲がかかり始めるとたちまち水量を増して流れ下る川だ。冬野の集落は今は住む人もおらず、時雨れて来るとまさに寒々とした景となるのだ。

枯木道音符並びに寄生の毱

岡崎市山崎 圭子   

 寄生はヤドリギの古名であり、俳句では「ほよ」と読むことが多い。青空の広がる冬の道に続く枯木、そこに浮かぶ毱のような寄生を見て作者はまるで楽譜の音符が並ぶようだと感じたのだろう。

年迎ふ夫の遺影に一礼し

豊中市金岡 道子   

 一年の締め括りとなる年末の大掃除を済ませ、ご主人の遺影を飾る部屋で、それに一礼して一年間の出来事を語りかけたのだろう。高齢化社会で増える女性の一人暮らしの日常を詠んだ一句である。

石川 多歌司 選

 2024(令和6)年2月

除夜の鐘闇に打ち込む百八つ

(宝塚市)土居美佐子   

 大晦日の夜半どき、各寺院では百八の除夜の鐘を撞く。百八の煩悩を一つずつ救うという。漆黒の闇の中の鐘楼で心を込めて撞く除夜の鐘。闇に打ち込む感慨が伝わってくる。

著ぶくれて口だけまめの母であり

(西宮市)外山 妙子   

  年老いた母で動作は衰えているが元気な母。寒い台所で著ぶくれてあれやこれやと口で年用意の指図をしているのであろう。口うるさいと思うものの息災であることに内心喜んでいる作者。

御取越誘うて共に門に入る

(大津市)加藤 孝和   

 本山の親鸞聖人の御正忌の報恩講と差し合わないよう各地の一般の寺や信徒は、日を繰り上げて法会を営む。一般の寺では気楽に知己や隣人を誘い合いお参りする。宗祖を慕う気持が伝わる句

森田 純一郎 選

 2024(令和6)年1月

三冊子のくろさうしより読始

(神戸市)たなかしらほ   

 芭蕉は自ら俳論を書かなかったが、弟子の一人で伊賀上野の服部土芳が聞き書きなどによって、白、赤、黒の三冊子を残した。作者は最も実作に役立つといわれるくろさうしを読始に選んだのだろう。

野良疲れ抜けゆく心地干菜風呂

川西市水口 祭   

 干菜風呂とは、大根や蕪の干菜を入れて沸かした風呂のことであり、素朴な鄙びた匂いがする。都会では見られないが、農家では体が温まるので農作業後に、特に老人や冷え性の人たちに好まれる。

炊き上げて粒立ち光る今年米

大津市加藤 孝和   

 今年米とは新米のことで、今年新しく収穫した米のことだ。新米が炊き上がって釜の蓋を開けた時に立ちのぼる湯気の中のふっくらとした白さはこの句の通り、まさに粒が立ち光る感じがする。

石川 多歌司 選

 2023(令和5)年12月

母の居ぬふる里遠し鰯雲

(宝塚市)土居美佐子   

 秋になると鰯雲を見てこの鰯雲の先の故郷には高齢の母が健在であると安心していたが、その母も亡くなり今では鰯雲を見ても故郷が遠くなってしまったように感じる作者なのであろう。

茶の道に生きて幾歳けふの菊

(甲賀市)清野 光代    

 長く茶道に親しんでいる作者。秋には茶室に菊を活けて茶道を楽しんでいるが、今日活けた菊には長い茶道生活を振り返り特別な感慨を感じられた作者の思いが伝わってくる句である。

鬼やんま威嚇してゐる杭の先

(大阪市)徳永由起子    

 大きな鬼やんまが杭に止まっているのを見た作者。鬼やんまは只止まっているだけかも知れないが、作者は恰も此処は自分の縄張だと言わんばかりに威嚇しているように感じられた感性を称える。

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年1

燃え移りしさうな塚の曼珠沙華

(名張市)松尾 忠子    

 今年は猛暑のために曼珠沙華(彼岸花)の咲く時期も少し遅かったようだが、彼岸明けの頃には満開の真っ赤な花を咲かせていた。塚に咲く遠くから見る真紅の曼珠沙華はまさに燃える火のようだ。

地球病むされど今宵の蟲時雨

(大阪市)柴田 良子    

 地球の温暖化に伴う異常気象という自然現象だけでなく、ロシアや中国、北朝鮮のような人為的な破壊行動によって地球は病んでいる。そんなことに関係なく秋の夜には虫たちが一斉に鳴き始めるのだ。

涙目を拭ふ花火師宴果つ

(豊中市)上杉千代子    

 晩夏の一大イベントである花火大会。花火師たちはその一日のために一年を掛けて準備をするのである。様々な趣向を凝らして打ち揚げた花火が果てた後の感動に花火師たちは涙するのだろう。

大阪の芭蕉忌 -法要と句会-

真宗大谷派難波別院は「松尾芭蕉終焉ノ地」として、古くから俳人たちの心の故郷として親しまれています。

1921(大正10年に芭蕉翁を偲び「芭蕉忌」法要を勤めて以来、1958(昭和33)年からは「大阪の芭蕉忌」として、毎年法要と句会を営んできました。例年11月第3土曜日に開催している同法要と句会に、有縁の皆さまのご参加をお待ちしています。