俳句に親しむ


みどう俳壇

森田 純一郎 選

 2022(令和4)年

青き踏む大雪山の懐に

札幌市佐々木紫水  

 青き踏む、つまり踏青とは春になり、野山が青々としてくる頃に野辺に出て青草を踏み、逍遥することである。北海道に住む作者は、大雪山の山懐の野を歩いたのだろう。壮大な光景が目に浮かぶ。

蛍火の谷深ければ高くとぶ

豊中市)土居美佐子  

 夏の宵に、水辺の闇を明滅しながら飛び交う蛍を見ていると美しいだけでなく、神秘を感じる。山深い渓谷に来て空を飛ぶ蛍を見上げながら詠まれた句であろう。端的な表現に感動が出ている。

戸締りをせぬこの里や水鶏鳴く

川西市水口  祭  

 水鶏(くいな)は水郷や低地帯の水辺に住み、春に到来して秋に去る。最近は戸を叩くように鳴く声を聞くことは中々出来ない。水鶏を聞くことの出来るような里では家の戸締りをせずとも良いのだろう。

石川 多歌司 選

 2022(令和4)年

荒波の磨く荒磯海苔を掻く

(宝塚市)土居美佐子  

 荒波の打ち寄せる岩石の多い磯では岩についた海苔を干潮時に掻き取る作業をする。天然の海苔として風味がある。荒磯で海苔を掻く人を見た作者の感慨が伝わってくる句である。

ふしくれの母の手恋し蓬餅

(甲賀市)清野 光代  

 蓬餅を賞味していると、今は亡き母がふしくれだった手で作ってくれた自家製の蓬餅を思い出し、亡き母をなつかしく偲んでいる作者。その蓬餅には母の指跡がついていたのかも知れない。

田楽にワイングラスの宿夕餉

(八尾市)奥村千佳子  

 夕食に田楽が出てくる田舎の宿屋なのであろう。それにしても清酒ではなく、注文しないワインが出されたとは一寸洒落ていると感じた作者。ワインを酌み食べ田楽は乙な味かも知れない。

森田 純一郎 選

 2022(令和4)年

蓮如輿曳く綱さほど太からず

(宝塚市)広田 祝世  

 毎年四月に、蓮如上人の御影を乗せ、花で飾られた蓮如輿が東本願寺から湖西沿いに福井県あわら市の吉崎別院まで運ばれる。大きな蓮如輿を曳く綱は意外なほど細いことを発見した一句である。

雨上がる気配の明日香初雲雀

狭山市古谷 彰宏  

 その年初めて目にする雲雀のことを初雲雀と呼ぶ。降り続いた雨の上がりそうな空には、早くも雲雀が舞い上がっていたのだろう。雨上がりの明日香の広々とした春景色を喜ぶ気持ちが伝わる

掬はれて白魚水の重さなる

豊中市上杉千代子  

 初春の季語である白魚は、篝火を焚いて曳網や四手網などで漁獲される。体長十センチ程で半透明の白魚は掬ってもほとんど重さを感じることはない。そのことを「水の重さ」と端的に言い表している

石川 多歌司 選

 2022(令和4)年4月

厳寒の森の中なる獣の目

(豊中市)室田 妙子  

 冬、早咲きの梅を探して森の中へ入った作者。そこには餌の少ない獣の目が光っていたのであろう。厳寒の森の中のどの様な獣か分からないが、獣の様子とそれを見た作者の驚きが伝わってくる。

山近きビルの隙間や虎落笛

守山市菅  邦子  

 山麓に拓けた都会なのであろう。冬の烈風が棚や竹垣などに吹きつけて笛のような音を発するのをいう虎落笛。近くの山から吹き下ろす烈風がビルとビルの間を抜けて虎落笛となった感慨。

ごきげんで帰り水飲むうかれ猫

甲賀市清野 光代  

 早春、昼夜を問わず物狂おしく鳴き立てて妻恋う猫が行き来する。牝猫をめぐって雄猫との争いに勝って恋を成就した飼猫が気嫌よく帰って来て水を飲んでいる微笑ましい様子を見た作者。

森田 純一郎 選

 2022(令和)年

碧天を突く双耳峰深雪晴

(狭山市)古谷 彰宏  

 双耳峰とは、谷川岳のトマの耳、オキの耳の二峰のことである。転落事故など遭難の多さから「魔の谷川岳」と呼ばれるが、雪の止んだ後の深雪晴の空を突くように聳える二峰は眩しいほどに美しい。

叱責の言葉のみこみ懐手

鳥取県)坂口 恵子  

 和服を着ている時に手の冷えを防ぐために、袂の中や胸元に両手を入れることを懐手と言う。主に高齢の男性に用いる季語だが、この句では懐手をして若者に対しての怒りを抑えていたのだろう。

白梅にさびしき日向喪に籠る

大阪市柴田なが子  

 白梅は清楚な気品があり、桜と共に古くから日本人に愛されてきた花である。この句では、喪中にある作者は家の中に籠り、日当たりの良い場所に咲く白梅を見ながらも寂しさを感じていたのだ。

石川 多歌司 選

 2022(令和4)年2月

初鏡背後に夫と子の笑顔

(大和郡山市)今西世子王  

 新年になって初めて鏡に向って身繕いをしていると、いつの間にか夫と子どもが背後に来て笑顔で見ていることに気付いた。新年の穏やかで幸せな暮しの様子が詠めて感謝の気持が伝わってくる句。

縁起物重に詰め終へ除夜の鐘

甲賀市清野 光代  

 ごまめや数の子など縁起の良い食積が出来てほっと一息をついた頃に除夜の鐘が鳴り出した。家族のために一年の家事を果した満足感の中で、除夜の鐘を聞きながら来る年の幸せを祈る作者である。

安らぎは句の道にあり木の葉髪

豊中市室田 妙子  

 長年俳句を勉強し、今では句作に安らぎを見出し俳句三昧の作者。木の葉髪は、冬めく頃木々の葉が落ちるように毛髪が常より多く脱け侘しく思うことをいうが、この句では歳を重ねたことを指す。

森田純一郎 選

 202(令和)年1月

歎異抄読み返しゐる炬燵かな

(大阪市)木村マサ子  

 老人と若者、善人と悪人、などのように分け隔てをすることなく、ただ信心のみをかなめとする、という親鸞聖人の教えを記した歎異抄を、作者は炬燵の中で何度も読み返しながら籠居しているのだ。

謫居跡見下ろしに鷹渡りけり

(岡崎市)朝雄紅青子  

 謫居とは罪を犯したり、咎めを受けた人が罰を受けて配流された辺鄙の地の住まいのことである。晩秋に南方に渡ってゆく鷹たちは、そのような謫居跡の遥か上空を群れをなして飛んで行くのである。

曲屋の馬屋まで届く炉火明り

(宝塚市)広田 祝世  

 岩手県の南部地域では馬を飼うために、主屋から鉤型に厩を接続して設けていた。こうした曲家は減少しているが、かつては上がり框に切った炉で煮炊きをし、団欒をした灯が馬屋を照らしたのだろう。

石川 多歌司

 2021(令和3)年1

阿蘇山の噴火の煙そぞろ寒

大阪市徳永由起子  

 晩秋に阿蘇山の噴火の煙を見た作者。噴火の程度と風向きによっては周辺に甚大な被害をもたらす。噴火の煙を見て、気持の上でもそぞろ寒を感じた作者の感慨が伝わる。「そぞろ寒」の季題が妙。

茶室へと誘ふ小径竹の春

草津市下村幸子  

 秋の茶会。竹は秋になると盛んに生長し性もよくなる。緑の色も濃くなり竹にとっては秋が春なのである。露地の竹の線はこれから始まる茶会の期待を盛り上げ茶人の心を弾ませるのであろう。

御堂筋銀杏黄葉の中をゆく

愛西市小川弘  

 大阪の中心街である御堂筋の銀杏並木は、秋になると一斉に黄葉となり人の心を楽しませる。久し振りに大阪に来て銀杏黄葉の御堂筋を歩いた作者の感動が平明な表現の中によく伝わってくる。

森田純一郎 選

 2021(令和3)年11月

いつ見てもたゆたふばかり雪蛍

(兵庫県)小林恕水  

 晩秋から初冬にかけて見かける雪蛍、つまり綿虫は青白く光りながら空中を浮遊している。いつ見ても空にゆらゆらと浮かんでいる雪蛍を眺めていると、何かしら憐れみを感じるようになって来る。

夕鵙や明日香どこかに煙立つ

(桜井市)村手圭子   

 実りの秋の明日香の光景は美しいが、夕暮れになると急に寂しくなって来る。殊にキリッキリッという鵙の鳴き声を聞くと人恋しさが募って来る。何処かで籾殻を焼く煙が上がっていたのだろう。

黒塀の高きにはじけ柘榴の実

(大和高田市)池之内愛   

 柘榴は秋になって熟して来ると外皮が裂けて、真っ赤な実が見えて来る。青空の下、高く張られた黒塀のさらに上にはじけた柘榴の実の赤は、さぞや鮮やかな色のコントラストを見せるのだろう。

大阪の芭蕉忌 -法要と句会-

真宗大谷派難波別院は「松尾芭蕉終焉ノ地」として、古くから俳人たちの心の故郷として親しまれています。

1921(大正10年に芭蕉翁を偲び「芭蕉忌」法要を勤めて以来、1958(昭和33)年からは「大阪の

芭蕉忌」として、毎年法要と句会を営んできました。例年11月頃に開催している同法要と句会に、有縁の皆さ

まのご参加をお待ちしています。