市街地から離れた所の売地なのであろう。敷地内の草木は枯れ果てて荒れて物寂しい敷地には、売地と大書した看板が立っているだけで一層寂しさが募ることに感慨の作者。情景が伝わってくる。
高齢になっても正月二日の書初は今尚欠かさず行っている作者。子どもの頃に習い始めた書道を通じて生活上の作法も教わったのかも知れない。その頃の初心を忘れない作者の生き様が垣間見える。
春が間近の冬の終りの頃。足が悪くて歩行訓練をしているご主人に、少し暖かくなった庭でのリハビリに腕を貸して助けている作者。一日も早くご主人の歩行が復活することを願う作者である。
この句では、猿廻しという季語はどこにも出て来ないが、二本足での芸が終わった後の猿がすぐに四つ足に戻ったことを詠んでそれを伝えている。直観直叙のよろしさのある写生句である。
寒餅は、寒中に搗いた餅のことで黴が生えにくいとされる。三が日と小正月との間に食べるものだったが、独りで昼食をとる時には手軽で良いのだろう。寒という一語から寂しさも伝わってくる。
鰯などの稚魚を茹でて塩干しにすることを白子干と言う。縁側などで小魚を選りながら庭の茣蓙の上に白子を放り投げている時に猫にも少し与えたのだろう。春先ののんびりとしたひと時である。
炉開の日、茶壷の封を切って初めて新茶を用いる口切は、茶道には大切な行事である。永年茶道の修行をし九十歳になった茶人の所作はさすがに凛然としていることに感動した作者。
葬儀・告別式を終え火葬場へ向かおうとしている棺に折しも時雨てきて一層悲しみを誘う情景。初冬の日の冷たい時雨の日の故人の旅立ちに作者の心は悲しく悼むばかりである。
落ち葉焚を囲んで今まで焚火を見て暖をとっていたが、顔が火照って背中を向けて暖をとっている作者。後ろ手にして焚火を見ながら焚火を囲む人達と談笑しくつろいでいる作者の様子が伝わる。
鴨や鳰など水に浮かぶ鳥を浮寝鳥と呼ぶ。多くは秋に北方から来て、春に帰る冬鳥である。池などに浮く一羽にもう一羽が寄り添うように来たのだろう。浮寝かなの下五に何かしら哀れさを感じる。
嵯峨の庵といえば、芭蕉の高弟、向井去来の草庵跡である落柿舎を思う。時雨がちな洛西の夕暮れは早い。冷たくそぼ降る夕時雨の中、庵に灯り初めた光景をほつほつと詠んだ作者の感動が伝わる。
秋期に北方より渡ってくる雁は、雁が音と呼ばれる独特の鳴き声とともに哀れさを感じさせる。作者は雁の渡ってくる海の彼方の未来を詠んでいる。平和な世界を祈る気持ちも感じられる句である。
高原などで色とりどりの秋草が咲き乱れている野原。その中に一筋の小川がさらさらと流れている情景に感動した作者。「淙淙と」に緩やかな流れであることが分かり省略の効いた句である。
広い二条城は松と共に紅葉など多くの木がある。茶人である作者は、紅葉しながら且つ散る深秋の二条城の庭での茶会に出席し、紅葉の中の野点に一入のかんがいを得たことが伝わってくる。
露草はどこにでも群生する草で頭を少し持ち上げ二弁の鮮やかな藍色の花をつけるが、茎は分枝し地に這うようにつましく闇の中で咲いていることの写生。
女王花、つまり月下美人は年に一度だけ、夏の夜に純白大輪の芳香ある花を咲かせるが、四時間ほどで萎んでしまう。午後十一時から午前一時頃の深夜である三更に見事な花を咲かせたのだろう。
鶴は千年、亀は万年と言われるように長寿を願う言葉として、鶴と亀は様々なところで使われる。全国の温泉地にも鶴の湯、亀の湯があるのだろう。避暑地の温泉に日頃の疲れを癒す喜びが伝わる。
正岡子規が亡くなるまで住んだ東京根岸の子規庵には、毎年見事な糸瓜の実がなることで知られる。猛暑の今年は、何もかも成育時期が狂っているが、子規忌にもまだ花ばかりだったのであろう。
夏至は六月二十一日頃で、地球の北半球では昼が最も長く夜が最も短い。青葉の山の木々は生き生きとし、まして雨が上がった後の樹木の生気に感慨一入で、盛夏の到来を感ずる作者。
日本の終戦時の記憶もさることながら、広島と長崎に落とされた原子爆弾による惨状の記憶はいつまでも忘れることがない。これの語部の記憶は今も鮮明であることに感慨の作者。
寝冷えを防ぐために用いる腹掛。腹当をした幼児は、外では意気地がないが、家の中では威張り散らしてむづがり屋であることを微笑ましく眺めている作者。滑稽味のある秀句である。
道おしへは人が近づくと飛び上がり、少し先へ下り立って人を振り返るような仕草をし、また飛び上がり、まるで道案内をするようだ。歩みの遅い人の前では待ち切れずに飛び去ってしまうのだろう。
朧夜とは、ぼんやりとかすんだ朧月夜のことであり、春の季語である。少し幻想的な雰囲気を持った季語でもあるが、遠山が動く気配とは面白い捉え方をした句だ。茫洋とした雰囲気が伝わって来る。
久しぶりに帰る故郷の山々は、晴れ渡った空の下にくっきりとその姿を見せているのだろう。快晴の景色を詠んでいると共に、帰省の喜びにあふれた作者の心の中も晴れ晴れとしていると思える。
その年に発芽した茶の新芽で作られた茶を新茶と称し珍重される。新茶を煎じたあとの茶殻も新茶のものであるが故に一品として尊ばれるのであろう。新茶を愛し味わう感慨が伝わってくる。
朝から禅寺の庭の手入れをしている禅僧。四葩の紫陽花には昨夜の雨雫が残っていて庭仕事をする作務僧の袖を濡らすが、これも作務の一つとして避けることが出来ない。禅寺の作務の光景。
気候不順であった春も日永の感じられる頃になって湖畔に佇み春を満喫している作者。春らしい波のうねりの湖を眺めていると飽きることがなく四季の一景を愛し楽しむ感慨の句。
獅子吼園は南御堂の境内にある庭園で、俳聖松尾芭蕉の「旅に病んでゆめは枯野をかけまはる」の句碑がある。大きな芭蕉の木が守るように建つ句碑を「鎮むる」と感じ取った作者の感覚を尊重したい。
施設におられるお母さんとの面会が出来ず、僅かな時間にリモートで話すだけなのだ。「家の躑躅はもう咲いたか」との問いに丁寧に説明してあげているのだろう。長寿社会の切なさを感じる句だ。
水揚げ水車は、水路の流れによって水車が回転することで、下端で汲んだ水を上端まで持ち上げ、落下した水を樋が受けて水田に水を導く仕組みである。瑞々しい青田の光景が目に浮かぶようである。
樹齢百年と称される梅の幹には何とも言えない風格がある。古木ではあるものの若木の時と変わらない濃紅梅を咲かせることに感動した作者の感慨が伝わってくる秀句である。
人を余り見掛けない谷間の集落なのであろう。日暮の早い谷間の集落は外灯が早く点される。集落に近い田圃より遠蛙の鳴き声が聞こえてくる静かな田舎の情景の写生句として秀逸。
有名な国宝の阿修羅を拝した作者。特徴のある眉に見入っていると薄らと春塵があるように感じたのであろう。実際には春塵など積むことはないかも知れないが、そう思った作者の季節感を称えたい。
浄土真宗中興の祖である蓮如上人が滞在し布教された越前・吉崎御坊、またその教義を平易に門徒に伝えた御文(お手紙)などの詳しい知識はないが、毎年盛大に催される蓮如忌には侍るのである。
蓮如上人の肖像画「御影」を輿車に載せて、東本願寺から福井県あわら市の吉崎東別院まで、僧侶と門徒によって運ばれる蓮如輿への参加者も高齢化している。新顔の来てくれた喜びを詠んだ一句だ。
凡俗の生死流転の世界(此岸)から悟りの境地涅槃(彼岸)に至る時期は、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、今年の彼岸には雪の降った地区もあった。上五の「思ひきや」にその驚きが現れている。
真宗大谷派難波別院は「松尾芭蕉終焉ノ地」として、古くから俳人たちの心の故郷として親しまれています。
1921(大正10)年に芭蕉翁を偲び「芭蕉忌」法要を勤めて以来、1958(昭和33)年からは「大阪の芭蕉忌」として、毎年法要と句会を営んできました。例年11月第3土曜日に開催している同法要と句会に、有縁の皆さまのご参加をお待ちしています。