俳句に親しむ


みどう俳壇

石川 多歌司

 2023(令和5)年12

母の居ぬふる里遠し鰯雲

(宝塚市)土居美佐子   

 秋になると鰯雲を見てこの鰯雲の先の故郷には高齢の母が健在であると安心していたが、その母も亡くなり今では鰯雲を見ても故郷が遠くなってしまったように感じる作者なのであろう。

茶の道に生きて幾歳けふの菊

(甲賀市)清野 光代    

 長く茶道に親しんでいる作者。秋には茶室に菊を活けて茶道を楽しんでいるが、今日活けた菊には長い茶道生活を振り返り特別な感慨を感じられた作者の思いが伝わってくる句である。

鬼やんま威嚇してゐる杭の先

(大阪市)徳永由起子    

 大きな鬼やんまが杭に止まっているのを見た作者。鬼やんまは只止まっているだけかも知れないが、作者は恰も此処は自分の縄張だと言わんばかりに威嚇しているように感じられた感性を称える。

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年1

燃え移りしさうな塚の曼珠沙華

(名張市)松尾 忠子    

 今年は猛暑のために曼珠沙華(彼岸花)の咲く時期も少し遅かったようだが、彼岸明けの頃には満開の真っ赤な花を咲かせていた。塚に咲く遠くから見る真紅の曼珠沙華はまさに燃える火のようだ。

地球病むされど今宵の蟲時雨

(大阪市)柴田 良子    

 地球の温暖化に伴う異常気象という自然現象だけでなく、ロシアや中国、北朝鮮のような人為的な破壊行動によって地球は病んでいる。そんなことに関係なく秋の夜には虫たちが一斉に鳴き始めるのだ。

涙目を拭ふ花火師宴果つ

(豊中市)上杉千代子    

 晩夏の一大イベントである花火大会。花火師たちはその一日のために一年を掛けて準備をするのである。様々な趣向を凝らして打ち揚げた花火が果てた後の感動に花火師たちは涙するのだろう。

石川 多歌司 選

 2023(令和5)年10

席入りの庵の静寂や時鳥

(甲賀市)清野 光代    

 席入りは座入りとも言い、茶会で客が露地から茶席に入ることを言う。茶室のある静かな庭に時鳥が鳴き一層庭の静寂を感じた作者。茶人なればこその作者の磨かれた感覚が詠んだ句。

七夕や墨痕凛と男文字

(大阪市)徳永由起子    

 七夕竹に吊した短冊には、男文字で墨痕も鮮やかにきちんとりりしく文字が記されている。子供ではなく大人の文字に心引かれた作者の感慨が伝わってくる。書かれた内容にも感じ入る作者。

空蟬の葉裏に縋る力かな

(大津市)関根 ひろ    

 地下に数年間幼虫として生息していた蟬は、やがて成長して蛹となり、夏に地上に這い出して背を割り皮を脱いで夜の間に成虫となる。蟬の抜け出た殻の空蟬がしっかりと葉裏に縋る力に感動の作者

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年9

悲しきを唄へる隠岐の盆踊

(羽曳野市)阪野 雅晴    

 隠岐の西ノ島の盆踊りは「ヨーホイヨーヨーホイヤイナー」という掛け声に合わせて、太鼓の伴奏だけで踊る素朴かつ特徴的な踊りだ。流刑地であった隠岐に伝わる民謡は悲しい歴史を物語るのであろう。

二度とセル着ることあらず捨てられず

大和高田市)池之内愛    

作者の若かりし頃には着心地がよく、さらりとした感触が軽やかでくつろいだ気分になれる単衣のセルの着物を愛用していたのだろう。

もう着ることはないと思いながら捨てるには忍びないのだろう。

一夜庵夕蜩につつまるる

狭山市古谷 彰宏    

 四国讃岐の観音寺にある一夜庵は、俳諧の祖と言われる山崎宗鑑が室町後期に結んだ庵である。興昌寺の奥に現存する数寄屋造りの俳跡は夕暮れになると蜩の音に包まれ、俳趣が湧くことであろう。

石川 多歌司 選

 2023(令和5)年8月

茅葺きの深き庇や風涼し

(大津市)押谷 章子    

 今にある田舎の茅葺きの家の庇は深い。深い庇の蔭を吹き抜けてくる風は暑い日中でも涼しく感じた作者の感慨が伝わってくる。日本の田舎の原風景を再発見した作者の感性を称えたい。

遊歩道涼し葉擦れの音ばかり

(川西市)糸賀 千代    

 森の中の遊歩道なのであろう。風が少し吹くと葉擦れの音がして快適な涼しさが想像出来る。どんな所の遊歩道なのかが分かる句で省略のよく効いた句であることを称讃したい。

明易し山小屋を発つ靴の音

(豊中市)室田 妙子   

 登山者は朝が早い。明易い夏の朝でも早々に次の山を目差して出発する登山者の靴の音を聞く作者の感慨。好天に恵まれた早朝の山小屋を発つ登山者の光景を髣髴させる句である。


森田 純一郎

 2023(令和5)年7

村の灯の見えて急かるる蓮如輿

(松阪市)平田冬か    

 今年四月に、四年ぶりに京都の東本願寺から福井県あわら市の吉崎別院まで、全道中を徒歩にて蓮如上人の御影を携えた蓮如輿が運ばれた。家々の灯が見えて蓮如輿の人々の足も早まったのだろう。

方丈の軒にさ迷ふ梅雨の蝶

(豊中市)迫田斗未子    

 方丈、つまり四畳半ほどの住職の部屋の軒先に梅雨の晴れ間に飛んで来た蝶がそこに留まるべきか、飛び去るべきか迷っているように思えたのであろう。小さな蝶に対する慈愛の念が感じられる。

雨がちの仏母の山やほととぎす

(兵庫県)小林恕水    

 仏母の山とは仏の教えをいただく山、つまり寺院のことだと思うが、ここは特に雨量の多い地域なのであろう。雨が降り止んだ時に、ほととぎすの鳴き声が寺全体に高々と響きわたったのだろう。

石川 多歌司

 202(令和)年

湖中句碑即かず離れず残る鴨

(甲賀市)清野 光代    

 琵琶湖畔の堅田の浮御堂の沖に高浜虚子の「湖もこの辺にして鳥渡る」の湖中句碑がある。秋冬に北国から渡って来た冬鳥は春には北国へ帰るが、帰らずに残っている鴨に注目の作者。

嵐山を背負ふかの川船遊

(豊中市)金岡 道子    

 大堰川は保津川となり、嵐山付近から下流は桂川となる。保津川下りの遊船に乗り船遊をすると嵐山付近では正に嵐山を背負っているような光景となることに感慨の作者である。

吊り橋を途中で返へす青嵐

(神戸市)内田あさ子    

 青葉の頃、森や草原などを吹き渡るやや強い風。谷に架かっている吊り橋は頑丈に出来ているとは言うものの青嵐が吹くと渡るのを戸惑う。身体が吹き飛ばされるようで引き返す作者。

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年5月

谷多き古戦場跡梅探る

(鳥取県)坂口 恵子    

 昔の戦では敵から姿を隠し、また傾斜が多く足場の悪い場所に敵を誘き寄せるために谷間を利用したことだろう。そのような険しい谷間を歩いて梅の花を探すことが探梅という季語の本意である。

柵といふ柵は白樺牧開く

(川西市)水口  祭    

 北海道や本州北部に多く見られる白樺は、比較的柔らかく加工がしやすいので牧場の柵などに利用される。白樺の白い樹肌と緑の草原が続く牧場にやっと春が訪れた喜びを感じさせる句である。

分校の崖にかたくり群生す

(狭山市)古谷多賀子    

 分校は正確には分教場と言い、本校の所在地以外に特に辺地に分設した教場のことである。人里離れた山中にある分校では、校舎に接する崖に山野に自生するかたくりの花が群生しているのだ。

石川 多歌司 選

 2023(令和5)年4月

ビル谷間余寒のひそむ闇深し

(大阪市)徳永由起子    

 大都会のビル群の間は正に谷間という感じである。夜が更けてくると人の行き来も絶え闇は一層深くなり、厳しい余寒がひそんでいるように感じた作者の感慨が伝わってくる句。大都会の真夜の景。

馥郁の香に心解く梅日和

(高石市)合田 英子    

 好天の日の梅林。コロナウイルス禍で鬱陶しい思いの毎日であったが、漸くそれも下火になって見頃の梅林を訪れた作者。梅日和と言える好天の梅林は、梅の香が漂い気持が明るくなったのである。

雛よりの凛凛しき視線威儀正す

(大津市)島田喜代子   

 段の雛を眺めていると雛が凛々しく作者に視線を向けていると感じた作者。その視線に思わず威儀を正し、改めて雛を見直したのであろう。「凛凛しき視線」に雛と作者の気持ちが通っている句。

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年3月

薄氷や礫にやをら傾きぬ

(兵庫県)小林 恕水    

 春先になって、ごく薄く張る氷のことは薄氷と呼び、初春の季語になっている。飛んで来た礫、つまり小さな石が当たっただけで薄氷は傾いたのだろう。瞬間を切り取って詠まれていて潔い句である。

水音の絶えざる寺苑春隣

(桜井市)山本ヒロ子    

 春隣は晩冬の季語である。この頃になると寒さも緩み、樹木の姿や日の光にも春の気配が漂う。冬の間、涸れていた川や池にも水が流れ始め、絶えず聞こえる水音に作者は春の訪れを感じたのだろう。

深々と探るは竜の玉の瑠璃

(岡崎市)山﨑 圭子    

 庭園の下草に用いられる竜の髭は、冬になると瑠璃色の宝石のような実を作る。深々とした茂みに隠れている実、つまり竜の玉を探そうと吟行で俳人達が葉叢に手に差し入れる光景をよく目にする。

石川 多歌司 選

 2023(令和5)年2月

投げられて畳の匂ふ初稽古

(兵庫県)小林 恕水    

 柔道の初稽古なのであろう。前年の年末に畳表を新しく取り替えた道場での初稽古。受身の稽古で投げられて顔が畳に接した時に青畳の匂を嗅いだ作者の感慨が伝わってくる句である。

句の心繋ぐ御堂や翁の忌

(宝塚市)土居美佐子    

 令和4年11月19日に難波別院で第65回大阪の芭蕉忌の法要と句会が催された。これに参加した作者なのであろう。翁の忌に出席し、芭蕉の偉大な業績を偲んで改めて俳句の研鑽に努める作者。

大琵琶といふ大いなる初景色

(草津市)下村 幸子    

 琵琶湖の近くに住む作者。広い琵琶湖の元日の景色を見て、日頃見慣れた景色もどことなく改まる吉祥の気が満ちて目に映ることに感慨の作者。大きな初景色が素直に詠めた佳句である。

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年1月

どこまでも歩きたくなる落葉径

大阪市)阪口京子    

 冬になるとあらゆる落葉樹が葉を落とす。地上に散り敷かれた落葉が遠くまで続く光景を見ると誰しも寂寥感を覚え、この句に詠まれた通り、どこまでも歩きたくなる。共感を呼ぶ一句である。

琵琶湖へと帽子飛ばされ緋蕪干す

狭山市)古谷彰宏    

 木枯の吹き始める頃、琵琶湖岸では漬物にするための緋蕪が傾斜したハサと呼ばれる大きな台に掛けて天日干しされる。帽子が飛ぶほどの冷たい強風に干された緋蕪は水分が抜け、甘味が増すのだ。

雪吊の縄放る役受くる役

名古屋市)中島 葵    

 雪の重みで木の枝が折れないように、円錐形に縄を張って吊り上げることを雪吊と言う。地上から縄を投げる人と樹上で受ける人がいるという雪吊の大変な作業の様子がこの句から伝わってくる。

大阪の芭蕉忌 -法要と句会-

真宗大谷派難波別院は「松尾芭蕉終焉ノ地」として、古くから俳人たちの心の故郷として親しまれています。

1921(大正10年に芭蕉翁を偲び「芭蕉忌」法要を勤めて以来、1958(昭和33)年からは「大阪の芭蕉忌」として、毎年法要と句会を営んできました。例年11月第3土曜日に開催している同法要と句会に、有縁の皆さ

まのご参加をお待ちしています。