俳句に親しむ


みどう俳壇

森田 純一郎

 202(令和)年

谷多き古戦場跡梅探る

(鳥取県)坂口 恵子    

 昔の戦では敵から姿を隠し、また傾斜が多く足場の悪い場所に敵を誘き寄せるために谷間を利用したことだろう。そのような険しい谷間を歩いて梅の花を探すことが探梅という季語の本意である。

柵といふ柵は白樺牧開く

(川西市)水口  祭    

 北海道や本州北部に多く見られる白樺は、比較的柔らかく加工がしやすいので牧場の柵などに利用される。白樺の白い樹肌と緑の草原が続く牧場にやっと春が訪れた喜びを感じさせる句である。

分校の崖にかたくり群生す

(狭山市)古谷多賀子    

 分校は正確には分教場と言い、本校の所在地以外に特に辺地に分設した教場のことである。人里離れた山中にある分校では、校舎に接する崖に山野に自生するかたくりの花が群生しているのだ。

石川 多歌司 選

 2023(令和5)年4月

ビル谷間余寒のひそむ闇深し

(大阪市)徳永由起子    

 大都会のビル群の間は正に谷間という感じである。夜が更けてくると人の行き来も絶え闇は一層深くなり、厳しい余寒がひそんでいるように感じた作者の感慨が伝わってくる句。大都会の真夜の景。

馥郁の香に心解く梅日和

(高石市)合田 英子    

 好天の日の梅林。コロナウイルス禍で鬱陶しい思いの毎日であったが、漸くそれも下火になって見頃の梅林を訪れた作者。梅日和と言える好天の梅林は、梅の香が漂い気持が明るくなったのである。

雛よりの凛凛しき視線威儀正す

(大津市)島田喜代子   

 段の雛を眺めていると雛が凛々しく作者に視線を向けていると感じた作者。その視線に思わず威儀を正し、改めて雛を見直したのであろう。「凛凛しき視線」に雛と作者の気持ちが通っている句。

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年3月

薄氷や礫にやをら傾きぬ

(兵庫県)小林 恕水    

 春先になって、ごく薄く張る氷のことは薄氷と呼び、初春の季語になっている。飛んで来た礫、つまり小さな石が当たっただけで薄氷は傾いたのだろう。瞬間を切り取って詠まれていて潔い句である。

水音の絶えざる寺苑春隣

(桜井市)山本ヒロ子    

 春隣は晩冬の季語である。この頃になると寒さも緩み、樹木の姿や日の光にも春の気配が漂う。冬の間、涸れていた川や池にも水が流れ始め、絶えず聞こえる水音に作者は春の訪れを感じたのだろう。

深々と探るは竜の玉の瑠璃

(岡崎市)山﨑 圭子    

 庭園の下草に用いられる竜の髭は、冬になると瑠璃色の宝石のような実を作る。深々とした茂みに隠れている実、つまり竜の玉を探そうと吟行で俳人達が葉叢に手に差し入れる光景をよく目にする。

石川 多歌司 選

 2023(令和5)年2月

投げられて畳の匂ふ初稽古

(兵庫県)小林 恕水    

 柔道の初稽古なのであろう。前年の年末に畳表を新しく取り替えた道場での初稽古。受身の稽古で投げられて顔が畳に接した時に青畳の匂を嗅いだ作者の感慨が伝わってくる句である。

句の心繋ぐ御堂や翁の忌

(宝塚市)土居美佐子    

 令和4年11月19日に難波別院で第65回大阪の芭蕉忌の法要と句会が催された。これに参加した作者なのであろう。翁の忌に出席し、芭蕉の偉大な業績を偲んで改めて俳句の研鑽に努める作者。

大琵琶といふ大いなる初景色

(草津市)下村 幸子    

 琵琶湖の近くに住む作者。広い琵琶湖の元日の景色を見て、日頃見慣れた景色もどことなく改まる吉祥の気が満ちて目に映ることに感慨の作者。大きな初景色が素直に詠めた佳句である。

森田 純一郎 選

 2023(令和5)年1月

どこまでも歩きたくなる落葉径

大阪市)阪口京子    

 冬になるとあらゆる落葉樹が葉を落とす。地上に散り敷かれた落葉が遠くまで続く光景を見ると誰しも寂寥感を覚え、この句に詠まれた通り、どこまでも歩きたくなる。共感を呼ぶ一句である。

琵琶湖へと帽子飛ばされ緋蕪干す

狭山市)古谷彰宏    

 木枯の吹き始める頃、琵琶湖岸では漬物にするための緋蕪が傾斜したハサと呼ばれる大きな台に掛けて天日干しされる。帽子が飛ぶほどの冷たい強風に干された緋蕪は水分が抜け、甘味が増すのだ。

雪吊の縄放る役受くる役

名古屋市)中島 葵    

 雪の重みで木の枝が折れないように、円錐形に縄を張って吊り上げることを雪吊と言う。地上から縄を投げる人と樹上で受ける人がいるという雪吊の大変な作業の様子がこの句から伝わってくる。

石川 多歌司 選

 2022(令和4)年12月

句心を繋ぐ御堂や翁の忌

宝塚市土居美佐子    

 さる11月19日に難波別院で恒例の「大阪の芭蕉忌(第65回)」の法要と句会が催された。作者は毎年これに出席されているのであろう。親鸞聖人を慕う気持ちと俳句に親しめる幸せが伝わってくる。

敦盛の笛か爽籟須磨に聴く

神戸市内田あさ子    

 須磨海岸の松並木の爽やかな風音は、恰も笛の名手であった平敦盛の吹く横笛の音のようであると感じた作者。「爽籟(そうらい)」は聞き馴れない言葉であるが、爽やかな秋風のことで風情がある。

熟れ残る庭の果実や冬めける

守山市地原義雄    

 冬めいた庭に秋に熟れた果実が枝にまだ残っている。柿か榠樝(かりん)なのであろう。啄むものの少ない時期の鳥のために残されたものか分からないが、冬めいた庭にある風情の感慨が詠めた句。

森田 純一郎 選

 2022(令和4)年11

てにをはの一字の重み文化の日

(尼崎市)森山 久代    

 日本語は特に難しい言語と言われるが、その理由の一つに助詞の使い方がある。最短の詩型である俳句においては特に一字の重みが大きい。文化の日は、正しい日本語の貴重さを考える機会でもある。

岬道に迫る切岸葛の花

岡崎市山﨑 圭子    

 切岸とは、斜面を削って人工的な急傾斜の断崖とし、斜面下からの敵の侵入を防ぐために作られた防御施設である。海沿いの岬道にまで迫る切岸には、生命力の強い紫紅色の葛の花が咲いていたのだ。

レシピつけ芋茎並べる露天市

川西市糸賀 千代    

 里芋の茎である芋茎は、茹でて酢味噌などで食べたり、水で戻して煮付けたり、汁の実としたりする。こうした調理法を知らない最近の人のためにレシピを付けて露天市で売られているのだろう。

石川 多歌司 選

 2022(令和4)年10月

白雲を浮かべ水都の水澄めり

(大阪市)徳岡美祢子    

 大阪市中を流れる淀川下流の光景なのであろう。大川は秋になると水を澄み川面に秋の白雲を映して滔滔と流れている光景を見た感慨一入の作者。水都の川の大きな光景を捉えた句。

庭の物ころがる音や野分中

吹田市辻  昌子    

 野分は秋の疾風のことで、颱風やその余波の風。野分が吹いている最中には庭に置いてある鉢や籠などが吹き飛ばされて音を立てて転がって行く。その音で野分の勢いを感じた作者の感慨。

風とらへ穂芒つくる風の道

宝塚市土居美佐子    

 穂芒は風に靡き易い。風に靡く芒原の一筋の穂芒を見て、あたかも穂芒が風を捉えて風の通り道を作っているように感じた作者の感覚が秀逸。芒野の穂芒の靡く様子を詠んだ秀句。

森田 純一郎 選

 2022(令和4)年9月

盆の供花庭に咲きたる物ばかり

(宝塚市)広田 祝世    

 自分の家の庭に咲いているごく普通の草花をお盆の供花として飾ったというのである。特別な供物はせずとも先祖を思い、静かに今を生きる自分の命や人生を振り返る大切さを思わせる句である。

一分の黙祷長し広島忌

(大阪市)阪口 京子    

 今年も8月6日に広島で原爆の慰霊祭が執り行われた。世界の紛争に核兵器の使用が取りざたされる今の時代、原爆の投下された8時15分からの1分間の黙祷に改めて平和の大切さを祈るのである。

磧湯に脱ぎし旅着を月照らす

鳥取県坂口 恵子    

 鳥取に住む作者は恐らく三朝温泉への旅で三徳川の河原の露天湯に入ったのだろう。皎々と地上を照らす月の下で旅着を脱ぎ、磧湯に浸かりながら作者はさまざまなことに思いを巡らせていたのだ。

石川 多歌司 選

 2022(令和4)年8月

翡翠の瑠璃の一閃魚攫う

(大阪市)徳永由起子    

 翡翠(かわせみ)の背は鮮明な瑠璃色をしていて美しい。渓流や池、沼などの岸より張り出した木の枝に止まり水面の魚を狙って急降下し魚を攫(さら)う。その早技を「瑠璃の一閃」と見た作者の感動が伝わってくる。

虫干や親鸞絵伝解く和尚

(甲賀市)清野 光代    

 土用の青天を見はからって陰干しをし、風を通して黴や虫などの害を防ぐ虫干し。作者の菩提寺での虫干しの中に親鸞聖人の絵伝の軸があり、住職の解説を聞いた作者の感慨が窺える句

治水碑をかすかに灯す蛍の夜

(宝塚市)広田 祝世    

 昔は水不足で悩まされたが、先人の治水工事のお蔭で水不足が解消し記念碑が建てられた。田植が終わった頃、記念碑の回りを蛍が飛び交っているのを見て蛍もその功績を称えていると感じた作者

森田 純一郎 選

 2022(令和4)年7月

青き踏む大雪山の懐に

(札幌市)佐々木紫水    

 青き踏む、つまり踏青とは春になり、野山が青々としてくる頃に野辺に出て青草を踏み、逍遥することである。北海道に住む作者は、大雪山の山懐の野を歩いたのだろう。壮大な光景が目に浮かぶ。

蛍火の谷深ければ高くとぶ

豊中市)土居美佐子    

 夏の宵に、水辺の闇を明滅しながら飛び交う蛍を見ていると美しいだけでなく、神秘を感じる。山深い渓谷に来て空を飛ぶ蛍を見上げながら詠まれた句であろう。端的な表現に感動が出ている。

戸締りをせぬこの里や水鶏鳴く

川西市水口  祭    

 水鶏(くいな)は水郷や低地帯の水辺に住み、春に到来して秋に去る。最近は戸を叩くように鳴く声を聞くことは中々出来ない。水鶏を聞くことの出来るような里では家の戸締りをせずとも良いのだろう。

石川 多歌司 選

 2022(令和4)年6月

荒波の磨く荒磯海苔を掻く

(宝塚市)土居美佐子    

 荒波の打ち寄せる岩石の多い磯では岩についた海苔を干潮時に掻き取る作業をする。天然の海苔として風味がある。荒磯で海苔を掻く人を見た作者の感慨が伝わってくる句である。

ふしくれの母の手恋し蓬餅

(甲賀市)清野 光代    

 蓬餅を賞味していると、今は亡き母がふしくれだった手で作ってくれた自家製の蓬餅を思い出し、亡き母をなつかしく偲んでいる作者。その蓬餅には母の指跡がついていたのかも知れない。

田楽にワイングラスの宿夕餉

(八尾市)奥村千佳子    

 夕食に田楽が出てくる田舎の宿屋なのであろう。それにしても清酒ではなく、注文しないワインが出されたとは一寸洒落ていると感じた作者。ワインを酌み食べ田楽は乙な味かも知れない。

大阪の芭蕉忌 -法要と句会-

真宗大谷派難波別院は「松尾芭蕉終焉ノ地」として、古くから俳人たちの心の故郷として親しまれています。

1921(大正10年に芭蕉翁を偲び「芭蕉忌」法要を勤めて以来、1958(昭和33)年からは「大阪の芭蕉忌」として、毎年法要と句会を営んできました。例年11月第3土曜日に開催している同法要と句会に、有縁の皆さ

まのご参加をお待ちしています。