南御堂新聞探訪

『南御堂新聞』の創刊について

 南御堂は、1945(昭和20)年3月13日から14日未明、第一次大阪大空襲によって、灰燼に帰しました。その後、ご門徒方のご懇念によって南御堂は、1961(昭和36)年に復興を遂げますが、その復興への道のりは困難を極めました。戦後間もない経済状況、周辺におられたご門徒の離散などもあり、復興の話は上がるものの、なかなか具体化されるまでには至らず、よからぬ噂までもたっていたと言われています。

 そこで、御同朋が一丸となって南御堂の復興を遂げるため、この状況を共有し思いを繋げていくために発刊されたのが、『南御堂』新聞です。

 1957(昭和32)年1月に戦災復興機関紙として創刊号が発刊されました。巻頭には、東本願寺第24代ご門首の寄稿などが掲載され、南御堂が大阪の地において果たしてきた役割などが綴られるとともに、復興への意義が確かめられました。

聞法紙としての歩み①

戦災復興紙として創刊された『南御堂』新聞は、タブロイド版の半分の大きさで4頁紙面による年に2、3回程度で発行されていました。内容は別院と教区内寺院との連絡紙的要素の強い機関紙といえるもので、とくに創刊以後、第11号までは別院復興の記事一色でした。1961(昭36)年5月号から紙面が現在の大きさとなり、1965(昭40)年の第30号からは毎月1回の月刊紙として発行されるようになりました。

1966(昭41)年の第46号からは、山口誓子氏、高浜年尾氏、阿波野青畝氏らを選者に「みどう俳壇」が開設され、読者も紙面に参加できるようになります。1967(昭42)年4月には郵政省から第三種郵便の認可を受け、広く門徒に開かれた紙面づくりを目指し始めるようになります。1969(昭44)年の第79号から「機械化と闘う人間像」など、当時の社会問題を取り扱った取材記事が取り上げられるようになっていきました。

また、1970(昭45)年から金子大榮氏の論文「“和讃”の中から」の連載が始まり、教化紙としての色が濃くなり、連載は6年半続きました(のちに『和讃日日』『続・和讃日日』として難波別院から出版)。また、この年の5月号から「掲示板」の言葉が登場します。

毎月発行の月刊紙となった第30号

芭蕉句碑とともに山口誓子氏や阿波野青畝氏の句碑が立ち並ぶ難波別院庭園の獅子吼園

当時の社会問題を取り上げた紙面

金子大榮師の生原稿。和讃日日は師の絶筆の書となる

聞法紙としての歩み②

「難波別院輪番差別事件」を契機に、“人権問題”が真宗の信心の上で重要な課題であるとの認識から、1969(昭44)年には同和問題に紙面で取り組むようになりました。また、1976(昭51)年には“同朋会運動”の関連記事も掲載され始めます。1977(昭52)年から「現代の危機」というテーマのもと、大学教授や作家などの論文を広く掲載するようになりました。翌1978(昭53)年には、「もしもし相談」が始まり、読者の声に寄り添った紙面構成となっていきます。また、7月号から「教化センター版」「大阪教務所版」が加わり、紙面も8頁に増えて、教化・広報の両面にわたって充実がはかられました。

同朋会運動にスポットをあてて、教区内の推進の方や各組の同朋会を取り上げたコーナーが設けられた

聞法紙としての歩み③

1982(昭57)年の第242号以降は、1面で「人間蓮如」「歎異抄と現代」「現代と親鸞」と、時代に応じたテーマを決め、各方面からの著者による論考が掲載されるようになります。また見開き面は、「特集面」として、仏事や社会問題などを取り上げた取材記事が多くなりました。その間、「子どもとともに」「現代人の心とからだ」など、多彩なコラムも紙面に加わり、聞法紙として充実していきました。

1993年4月から現在も続く「現代と親鸞」

聞法紙としての歩み④

1989(平成元)年の第320号からは、連載マンガが掲載されるようになります。それにともない紙面も12頁に拡大されました。連載マンガは、プロの漫画家にイラストを依頼し、「親鸞さま」から始まり、「蓮如さん」「教如さん」といった御歴代の生涯や、「電坊さん」「電爺さん」といったコミカルなマンガで仏事を学ぶという、当時は画期的な紙面が掲載され反響を呼びました。これらのマンガは単行本化され、現在も頒布が行われています。http://minamimido.jp/books/

最初の連載まんが

『まんが宗祖親鸞聖人』全3巻と伝承編

『まんが蓮如さん』

『まんが電坊さん』

聞法紙としての歩み⑤

このように『南御堂』新聞は、創刊から約60年の月日を経て、現在に至ります。その変遷の中には、編集に携わった者の教化伝道の思いが込められ、中でも朝日新聞社の記者であった大阪教区第8組明徳寺の故・中尾貞観氏から新聞編集の基礎を学び、現在もその編集方針は受け継がれています。また、古くから発送の際に、職員のみならずご門徒の方々や教区坊守会などの協力を得ながら作業を行っています。

 『南御堂』新聞は、ご門徒の皆様と作り上げていく聞法紙として、広く愛される紙面作りを今後も展開していきます。

月末に行われる発送作業