第1

信仰者が陥る“落とし穴”

不信と信を揺れる―親鸞で読む人間模様   芹沢俊介

 修道苦行僧ゾシマ長老の遺体が、期待に反して強烈な異臭を放ちはじめた。生前の長老はあまりにも偉大な聖者として僧院内外の尊敬を集めてきた。そのため人々は長老の死に、奇蹟や奇瑞の出現を願ったのだった。だが目の前にしたものは、それとはとうてい相容れぬ出来事であった。

 人々は混乱し、失望した。中でも僧たちは、このような成り行きに、長老の実体が、みせかけの聖人でしかないことを、神が示したのだと結論づけたのであった。長老を貶める空気は鎮まるどころか、さらに高調し、ついには、腐臭は生前、心邪であった者の遺体に悪霊が入ったことのしるしであると主張する僧まで現れたのであった。――ドストエフスキーの傑作『カラマゾフの兄弟』の中のエピソードの一つである。

 ここに描き出された僧たちの振る舞いは、信仰者が信仰を放棄し、信仰者としての位置をそれと気づかずに失墜する瞬間であった。それはまた信仰者が陥りがちな典型的な落とし穴でもあった。

 親鸞もこのような落とし穴と無縁には生きられなかった。

 親鸞が心から敬愛した賀古の教信沙弥や法然の臨終には、奇瑞が現れたという。教信沙弥については『往生十因』がその様子を記している。死体には犬が群がって食らいついていた。しかし、顔は損なわれておらず、眼と口からは菫(すみれ)に似た馥郁とした香りが漂っていた。上空には髑髏のまわりを廻るように、雲が集い、星たちが駆けつけ、讃嘆して歌を歌うのであった。法然の入滅時には、聞くところによればと断りつつも、どう讃えていいかたとえようもないほどの喜ばしき現象が現れたと親鸞自ら書き記したのであった(奇瑞称計すべからず――『教行信証』後序)。

 では親鸞の死に際はどうであったのだろうか。それらしきことは皆目起こらなかった。そう断定せざるを得ない唯一の材料が妻恵信尼の残した手紙なのである。

 恵信尼の手紙は、娘の覚信尼が問い合わせてきたことに答えた長文の返信である。返信から、覚信尼が父親鸞の往生に確信がもてないでいたことが窺える。

 覚信尼は親鸞の臨終に立ち会うことができた。九十歳。その枕辺にあって、喜ばしき事柄が、兆しでもいいから現れることを期待する気持が、少なからずあったであろうことは想像に難くない。だが、息を引き取る前も後も、変化は生じなかった。ことによると、高齢であったゆえのかすかな臭気さえ発するようになっていたかもしれない。

 そのことだけでも無念なのに、さらに追い打つように、悩ましい事態が持ち上がったのだった。瑞祥(めでたいしるし)がないことをもって親鸞の往生を疑問視する声が周囲から聞こえてきたことである。お父様はほんとうに往生したのでしょうか、わからなくなりました、これが覚信尼の母への手紙の主旨であった、と思われる。

 恵信尼の返事は、そんな娘の悩みを一蹴りに晴らすものであった。

 「あなたのお父様は生前においてすでに往生の決まっていた人なのです。私と知り合ってまだ間もない頃のことです。比叡山を降りたものの、ほんとうの信心の道を尋ねあぐねていたときに出会ったのが、法然上人の教えでした。上人は、念仏のみが、善い人だろうと悪い人だろうと、わけ隔てなく往生を約束してくれる唯一の道だと説いていたのです。それを聞き、心からそのとおりだと信じ、以後、上人が念仏ゆえに地獄に堕ちたというなら、自分も従うというくらいに信じ切ったのがお父様なのです。ですから、いまさら臨終がどうだったのこうだったのといった話は問題にもならないのです。生半可な信心しか持てない人たちが、したり顔でことさらのように流す噂に、心を奪われてはなりません」

 奇蹟や奇瑞に往生の証拠を求める考えが、他力信心を裏切るものであることを、恵信尼はここに言い切ったのだと思う。 

【第11おわり】南御堂新聞20192月号掲載 / 2021/10/15オンライン公開