第2

悲劇のほんとうの発端

不信と信を揺れる―親鸞で読む人間模様   芹沢俊介

 「親殺しには、子殺しが先行している」。2004年末以降、頻発し始めた親殺し事件の分析から筆者が得た結論である。この場合の子殺しは、親の内面に生じた「この子がいなくなればいい」という感情のことである。こうした感情を存在論的子殺しと名づけた(『親殺し』2008年刊)。

 2500年ほど前に成立したとされる『涅槃経』に描かれた阿闍世の父殺し事件もまた、最初に子殺しがあったに違いない。「未生怨」は、子殺しを発端に生じる父殺しの衝動なのである。だが、阿闍世事件を真正面から話題にした『涅槃経』は、「未生怨」の根に子殺しがあったというところまでの言及はない。「未生怨」の一言でもって、阿闍世に親殺しを実行させた提婆達多の発言を調べても、この言葉の由来について、占い師の予言というあいまいな説明ですませているのである。これでは、ギリシャ悲劇『オイディプス王』と同様、予言がすべてのはじまりであったということになってしまう。

 王舎大城の悲劇のほんとうの発端に子殺しがあることを、明示してみせたのは、浄土真宗七祖の一人、善導であった。善導は書いている。

 頻婆沙羅・韋提希夫妻には後継ぎの男の子がなかった。嘆く二人に、ある占い師が朗報をもたらした。山中に一人の仙人がおり、三年経つと亡くなる。それから王の子に転生するだろうというのである。王は喜んだ。ところが王は、年待てなかった。使者を差し向け、理不尽にも仙人に早く死ぬようせかし、拒否した仙人を、殺してしまったのである。仙人は、王に伝えるよう使者に言った。「まだ三年も生きられる私を、王よ、あなたは、子ども欲しさと腹立ちから使者に命じて殺させた。私もあなたの子になったら、同じように怒りから人に命じてあなたを殺させるだろう」。絶命した仙人は、韋提希のお腹に転生した。妻の妊娠を、夫は喜んだ。だが、占い師は、王に告げた。「もし生まれたら、この子はあなたを害するでしょう」。悩み迷った末に夫は、子殺しの案を練り、妻にもちかけた。出産時に、高楼から産み落とし、地に激突させ死に至らしめようというのである。妻は、夫の計画に賛同し、実行した。ところが、子どもは、子指一本折っただけで生き残ってしまったのであった(『観経疏』)。

 頻婆沙羅の理不尽さが犯した仙人殺しは、右の例が二度目であった。「梵行品」において釈尊は、阿闍世の父の最初の仙人殺しを指摘している。ある日、鹿狩りに山中に入った王は、不猟であることに立腹、たまたま出会った仙人を、鹿と見立てて家来に狩らせたのである。仙人はこう言い残して死んだ。今度、生まれたなら、同じような手口でお前を殺そうと思う……。

 頻婆沙羅に殺された二人の仙人は共に、阿闍世の前身である。この事実に目をつぶることはできそうにない。

 そこで、こう想像してみる。もし頻婆沙羅が、自分の為したこれら二つの子殺しに、内省的に思いを馳せることができていたなら、まさに今、この世に生まれ出ようとしている我が子を、高楼から、地面へと産み落とし、死なせるなどという計画を思いつき、妻に実行を促したであろうか。二度で足りず、三度まで、子殺しを遂行しようという気持ちに駆られただろうか。阿闍世の「未生怨」の強度は、頻婆沙羅の、この内省の至らなさと深く結びついていたのではないか。

 連載第21回で、元農林事務次官の息子殺しに触れた。76歳の元農林事務次官は、自分の中に繰り返し生じたであろう「この子がいなくなればいい」という感情、すなわち存在論的子殺しを、ついに実際の行為にまで突き詰めたのだと思った。このとき、筆者は殺された息子に「未生怨」を感受した。しかし、彼は阿闍世になれなかった。父親が、頻婆沙羅になれなかったから、である。ここに、現代の子殺しの救いのなさを見る思いがするのである。

【第24おわり】南御堂新聞20203月号掲載 / 2021/11/29オンライン公開