第2

阿闍世とオイディプス

不信と信を揺れる―親鸞で読む人間模様   芹沢俊介

 ソポクレス『オイディプス王』(藤沢令夫訳)は、主人公オイディプス王が、それとしらずに犯す実親殺しを描いたギリシャ悲劇の傑作。親とはテバイ王ライオス。

 発端は、ライオスにくだされたアポロンの神託であった。妻イオカステとの間に子(男の子)が生まれたなら、その子は長じて父親を殺し、母と交わり、子までなすであろうというのである。神託が現実となることを恐れたライオスは、生まれたばかりの我が子を、両のくるぶしを留金で差し貫いたうえで、家来に命じ人跡なき山奥に棄てさせたのである。だが赤ん坊は死なず、拾い上げられ、コリントスの王ポリュポスとその妻メロぺの手に託された。オイディプス(腫れ足)と命名され、彼らの子どもとして育ったのだった。

 オイディプスは、ポリュポスを継ぐにふさわしく成長した。だがある日、宴会の席上で酔った男に、あなたは王のほんとうの子ではないと囁かれたのだ。オイディプスは男の言葉の真偽を確かめるべくアポロンにおうかがいをたてた。すると、神託は問いには答えず、別のおそるべき予言をもたらしたのだった。おまえは実の父を殺し、母と交わり、子までなすだろう、と。

 ライオスにくだされた神託は、「子が生まれたなら」という仮定法が付いていた。ところが、オイディプスにくだされたそれは、仮定法が外されている。神託によれば、父親殺し、母子相姦は近い将来、オイディプスが起こす既定の出来事なのである。

 神託の現実化を恐れたオイディプスは、コリントスを離れ、旅に出る。だが、神託からの逃走が、かえって神託の成就へとオイディプスを運んでいったのである。旅の途次、オイディプスは、三叉路で遭遇した数人の一党の理不尽な振る舞いにするどく反撃し、その中心人物をライオスと知らずに殺してしまう。旅は続き、テバイの国に至ったオイディプスは、スフィンクスの呪いで疲弊する王なきテバイの民を救うのである。このめざましい働きによって、オイディプスはテバイの王として迎え入れられる。そして亡きライオス王の妻イオカステと結婚、四人の子が生まれるのである。

 オイディプス王のもと、繁栄を誇っていたテバイにやがて凋落のきざしがみえはじめる。アポロンの神託は、凋落の原因を先の王ライオス殺しの犯人を野放しにしたままでいるからだと告げる。捕えて死刑か追放に処するように、というのである。オイディプスは犯人捜しの先頭に立つが、その犯人が己であることを知るにおよんで、イオカステは自害し、自身は留金で両目を突き、盲目となって追放の身となるのである。――

 確認しておこう。なぜライオスはオイディプスに殺されたのか。神託のままに、生まれてすぐに自らの手で子を殺さなかったからである。なぜ、イオカステはオイディプスとの結婚を承諾したのか。夫ライオスがすでに亡き人だったからである。なぜオイディプスは王位を失い、追放されたのか。アポロンの神託に反したからである。神託では、オイディプスはこの世に生を享けなかったはずなのだから。

 こう紹介してきて、ふと、オイディプスは、阿闍世同様、「未生怨」ではなかったかという気がし始める。

 「未生怨」という言葉は『涅槃経―迦葉菩薩品』の中で以下のように用いられていた。《提婆達の言はく、「汝未生の時、一切の相師皆是の言を作さく、是児生巳りて当に其の父を殺すべしと。是の故に外人は、皆悉く汝を号して未生怨と為す」》(私訳 提婆達多は阿闍世にこう言ったのだ。「あなたがまだ母の胎内にあるとき、国中の占い師が皆、この子が生まれたら、必ず父親を殺すことになろうと予言した。それが理由で国の外の人たちも誰もがあなたを未生怨と呼んでいるのです」。)

 阿闍世に向け、提婆達多の口から出たこの言葉が摩伽陀国を一大悲劇へと陥れていくことになる。提婆は役割において、オイディプスにおけるアポロンに相当しよう。では提婆達多とは誰か。

【第22おわり】南御堂新聞20201月号掲載 / 2021/11/22オンライン公開