第2

父を殺す五逆の阿闍世へ

不信と信を揺れる―親鸞で読む人間模様   芹沢俊介

 『涅槃経』の二つの章、「梵行品」「迦葉菩薩品」が阿闍世の父殺しに触れている。「梵行品」は、その原因をもっぱら阿闍世の性悪で怒りっぽく嗜虐的な性格(其性憋悪にして、憙んで殺戮に行じ、口に四過を具す。貪・恚・愚癡の、其の心熾盛なり)と、欲まみれの生活態度(現世の五欲楽に貧著するが故に)とに帰している。つまり悪いのは、阿闍世個人であるという認識である。したがって提婆達多はここには登場しない。

 「迦葉菩薩品」は、釈尊が事件の全貌を知る唯一の関係者として登場し、悲劇の要因とそこに至る経過を自ら語るのである。

 摩掲陀国の大王頻婆沙羅には、善見という息子(阿闍世王)がいた。「業因縁」のゆえに父を殺したいという衝動を抱いていたが、その機会がなかった。同じころ私(=釈尊)に提婆達多という従弟がおり、この提婆がやはり「業因縁」のゆえに私を殺害しようと考えていたのだった(「羅悦祇王頻婆沙羅、其の王の太子、名づけて、善見という。業因縁の故に悪逆の心を生じ、其の父を害せんと欲するに便を得ず。爾の時に悪人提婆達多、亦過去の業因縁に因るが故に、復我が所に於いて不善心を生じて、我を害せんと欲す」)。

 釈尊によると、出来事には二つの問題が関与していた。第一に「業因縁」、第二に「業因縁」が実行動へと噴き出すための契機としての提婆達多の存在である。どちらが欠けても、父殺しは起こらなかったというのである。「業因縁」とは、阿闍世にとっては「未生怨」(父殺しの衝動)がそれである。

 釈尊は続ける。阿闍世の内にひそむ「未生怨」を発動させるよう唆したのは提婆達多である。しかし、そうなるにはある事情がからんでいた。提婆は、権力欲が強く、自分の力を誇示したいばかりに、以前から私に激し嫉妬心と敵愾心を抱き、つねに私の位置を狙っていた。ある日、私は提婆を、この愚か者めが(「汝痴人」)とこっぴどく罵倒した。屈辱感と怒りに青ざめた提婆の心に、私への殺意が湧き上がってきたのは、この時であったと推察する。提婆は私にこう捨て台詞を吐いたのだ。「この怨みは地獄に堕ちても返さずにはおかないからな」(「若し我が此の身現世に必ず阿鼻地獄に入らば、我要ず当に是の如き大怨を報ずべし」)。

 筆者の推測を加えれば、釈尊への、提婆のこのような殺意が、提婆を聖人とあがめる阿闍世に、父殺しを焚きつける言葉――「未生怨」――を投げかけるバネとなったのである。だとすれば、釈尊はこの悲劇の第三者ではなかったということになる。実際、提婆は阿闍世の父殺しを、釈尊殺害の絶好の機会として利用しようとしたのである。

 さて、お腹の子は「未生怨」、すなわち生まれたら父親を殺す、そう国中の占い師たちに予言された頻婆沙羅・韋提希夫妻は、それにどう対応したのか。

 「未生怨」という予言は、筆者の観点では、『オイディプス王』におけるアポロンの神託同様、生まれたら即座に子どもを殺せというメッセージである。妻韋提希は、発せられたメッセージに忠実に、子殺しに走ったのである。「韋提夫人、是の語を聞き巳りて、既に汝が身を生じて、高楼の上より之を地に棄て、汝が一指を壊せり。」(私訳 妻の韋提希はお腹の子が「未生怨」だと聞くや否や、すでに母親の胎内を離れつつある子どもを、高楼から大地に向けて生み棄てたのである。ところが子どもは死なずに、指を一本折っただけであった。)

 頻婆沙羅・韋提希夫妻は、「未生怨」を始末し損なったのである。ライオス・イオカステ夫妻が子殺しをし損なったのと同様に。「未生怨」は阿闍世として生き残ったのである。もはや、父殺しは不可避となった。提婆は、「未生怨」が発動されるべく呼び出された一種の触媒であった。

 この縁を得て、とてつもなく性悪な性格の持ち主として育った男は、父を殺す五逆へと変貌したのである。

【第23おわり】南御堂新聞20202月号掲載 / 2021/11/25オンライン公開