まつり

花まつり特集がダウンロードできます!!
2024年4月号(731号)の特集「イラストでたどるお釈迦様の生涯」は無料ダウンロード・閲覧が可能です。
お寺の「花まつり」や「子ども会」などでも活用しやすい紙面となっておりますので、是非ご利用ください。

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花まつり特別企画 
~イラストでたどる お釈迦様のご生涯~

1️⃣お釈迦様のご生涯

 今から約2600年前、お釈迦様は、インドの釈迦族という王族の家に生を受けました。父はスドーダナ(浄飯)、母はマーヤー(摩耶)といい、お釈迦様はゴータマ・シッダールタと名付けられました。誕生の地は、ルンビニー園という花園で生まれたと伝わり、このことをいわれに「花まつり」では、たくさんの花をお飾りしてお祝いしています。

 お釈迦様の生誕時には、数々の説話が残っています。その一つが、誕生を喜び祝うかのように天から甘露の雨(甘い雨)が降り注いだという話です。このことから「花まつり」では、お釈迦様の像(誕生仏)に甘茶を注ぐ「灌仏」が行われています。また、誕生直後、7歩歩き、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊」とおっしゃったという逸話も残っています。この話からは、「この世界に生きる一人ひとりは、誰にも変わることのできない尊い存在である」ということを教えてくださっているのです。他にも、インドでは右を尊ぶことから、お釈迦様は母・マーヤーの右脇から誕生したなど、数々の説話が伝え残されています。これらの話は、お釈迦様誕生の尊さを表すため、後に出来上がった話だと言われていますが、その一つひとつの話は、今を生きる私たちに大切なことを伝えています。

 誕生以降、お釈迦さまは王族の子として不自由のない生活が与えられました。しかしそこで、生きることの根本的な悩みに向き合うこととなるのです。

2️⃣苦との出会い

 お釈迦様が抱えた悩みは「生まれ、歳をとり、病に患い、死んでいく(生老病死)」という人間が逃れることのできない根本的な問題でした。そのことを象徴的に伝えるのが「四門出遊」という物語(仏伝)です。

 この物語は、ある時城の外に出かけようとしたお釈迦様が、東の門で老人を、南の門で病人を、西の門で死者を目の当たりにし、「老病死」という問題に直面するという話です。この問題は、城の中での生活がどれだけ楽しいことで溢れていようとも、ごまかすことのできない人間の事実を表し、お釈迦様にとって衝撃的な出来事でありました。

 そして、最後に北の門を出た時、お釈迦様は出家をした僧(沙門)に出会います。沙門とは、家や家族など自らが持つものをすべてすて、ひたすらに戒律を守り、真実に安らかな境地を目指す者のことです。そしてこの物語では「老病死」という問題を受けとめ、真に生きる道を歩みだした者の姿を示しています。

 この沙門との出会いは「生老病死」という問題を抱いていたお釈迦様にとって衝撃を与える出来事でありました。そしてこの後、お釈迦様は家族や地位などをすべてすてて、真実の道を求め出家の道を歩むことを決意するのです。29歳の時でした。

3️⃣修行の果てに悟りの境地へ

 真実に安らかな境地を求め出家したお釈迦様は、難解な修行に励みます。それは、精神を集中させ、他の束縛から解放されようとする「禅定」と、極限まで肉体を苦しめることで、精神の自由を得ようとする「苦行」といったものです。これらの中には、ひどく身を傷つける、極めて過酷なものも数多くありました。しかし、その日々から見えたものは、修行が根本的な苦しみの解決にはならないということ。そのため、お釈迦様は今まで重ねてきた極端な修行をすべて離れることを決断されるのです。その際、スジャータという娘がお釈迦様に乳粥を与え、傷めた身体を癒やしたという話が伝わっています。

 次にお釈迦様が実践したのは、自らのうちに潜む悪魔と向き合うことでした。この悪魔は「マーラ」と呼ばれ「人間のいのちを奪うもの」のことを指します。それは、欲望や嫌悪、疑い、恐怖などといった人間が内に秘めるもののことです。つまり、人間を悩ますマーラに打ち勝つことを抜きにして、真実に安らかな境地へとたどり着くことはできなかったのです。

 お釈迦様は菩提樹(ピッパラ樹)の下で、マーラと向き合いました。その闘いは『経典』にも残されるように、極めて難関なもので、たびたび現れるマーラはお釈迦様を苦しめました。

 そして、お釈迦様が35歳の時、深く広い智慧で、ついにマーラを乗り越えるのです。それは、快楽・娯楽生活、反対に苦行生活といった、いずれにしても極端な立場を離れた「中道」に立つことによって見えた境地でした。これが、世の道理を真に見極め真実を得た瞬間で、「悟り」を開いた時であります。このことを「正覚」といい、また歩むべき道が成立したということから「成道」と呼んでいます。

4️⃣世の苦しむ人々に教えを伝え

 お釈迦様は「中道」に立ったことによって、すべての物事は互いに関係し合い、支え合っているということ(縁起の法)を見極められました。しかし、それは極めて深く繊細であるため、人々に伝えたとしても、かえって困惑させるのではないかと考えたと言います。その最中、教えを説くきっかけとなったのが、説話ではインドの最高神・梵天から「人々に向けて教えを説いてほしい」と懇願されたことであったと伝わってます。

 このことを契機に、お釈迦様は世の苦しむ人々へ向けて、自らの教えを伝えていかれます(転法輪)。その初めてが、鹿野園で説いた時のことで「初転法輪」と呼ばれます。ここに「仏(目覚めた者)」「法(真実の教え)」「僧(仏の道を歩み出した者の集い)」という仏教で最も大切な三つの宝(三宝)が成立したのです。

 その後もお釈迦様は、当時の身分階級を超え、世の一人ひとりと向き合って教えを説いていきました(対機説法)。そして、その教えは数多くの人々の心をうち、お釈迦様を中心とした僧伽が成立していったのです。

5️⃣沙羅の樹の下で迎えた最後の時

 お釈迦様が法を説く様は、まさに獅子が吼えるかのように強く、多くの人に感銘を与えました。しかし、晩年に入ると重い病を患い、初転法輪以来45年目、お釈迦様は入滅の時を迎えられることとなるのです。

 入滅の場所はクシナガラという地にある二本の沙羅の樹の間。そこでお釈迦様は、頭を北に向け、顔を西に向けて横たわり、弟子たちに向けて最後の説法を行いました。その説法は「自らをたよりにし、法をよりどころにせよ(自灯明・法灯明)」という大切な話です。そこからは、自分を大切に見つめ、仏法にたずねることを、今を生きる私たちに教えています。そして、説法を終えると安らかな状態に入り、そのまま80年の生涯を閉じられました。

 お釈迦さまの入滅は「涅槃」と呼ばれます。涅槃とは、「燃えさかる煩悩の火が吹き消され、智慧が完成した状態」のことです。私たちは「死」を不幸なことと思いがちですが、お釈迦様は智慧をもって「生老病死」を見つめ、その生涯をまっとうされました。つまり、「生を完成した」ということから入滅を「涅槃」と呼んでいるのです。