梵鐘の役割と二口の難波別院梵鐘

除夜の鐘に寄せて

(201812月号掲載)

【ピックアップ小特集】

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※紙面掲載したものに加筆・修正したものもあります。

梵鐘の役割と二口の難波別院梵鐘除夜の鐘に寄せて(201812月号掲載)

 大晦日の風物詩として、全国各地で多くの人が足を運ぶ「除夜の鐘」。難波別院でも毎年開催されている(詳細12面)。

 そもそも寺社における梵鐘の役割は、法要行事だけに止まらず、地域社会とも密接に関係してきた歴史がある。また、用途は宗派宗教ごとに独自の取り決めがあり、その役割は多岐にわたる。

 そこで今月号は、、真宗寺院における梵鐘の役割と、難波別院で護持されている二口の梵鐘について紹介してみた。

寺院と地域を結ぶ伝達方法梵鐘に込められた願いを感じ

◇撞く単位は‟吼”

 真宗大谷派における梵鐘は、「集会」に用いるものとして、その役割を担ってきた。梵鐘は、寺院境内の「鐘楼」(釣鐘堂)に吊り、法要等の「集合の合図」を伝えるために用いる。これは、寺院境内にいる者は勿論、大きな鐘の音が届く範囲、つまり広く集落全体にまで法要等が勤まることを知らせるためである。梵鐘を撞く回数の単位は「吼」(ほえる意味)と表され、いかにも遠くまで轟きそうな単位を用いてきた。

 また、大谷派では法要の種類によって梵鐘を撞く回数が定められている。命日の前日、午後に行われる逮夜法要は七吼、早朝のお勤めである晨朝法要は十一吼、命日当日の午前中に行われる日中法要は九吼となっている。各寺院で毎朝勤められる「おあさじ」も晨朝という扱いとなるので十一吼梵鐘を撞くこととなっている。葬儀の出棺の際は四吼、その他の集会は十八吼など、特別な法要に限らず、真宗寺院と地域社会を結ぶ古くからの伝達方法として現代にまで受け継がれてきたのが「梵鐘」である。

東本願寺の発祥

 難波別院には現在使用されている梵鐘の他に、もう一口、境内の庭園に保存されている。

 その梵鐘は、「大谷本願寺」の銘が記され、「文禄五丙申暦林鐘下旬第四」と鋳造された年代が記されている。鋳物師は、現・大阪市住吉区の我孫子付近にかつて存在した鋳物師集団の作といわれている。この梵鐘の銘からも、本願寺第12代の教如上人が東本願寺創立前、大坂の地に「大谷本願寺」を建立したことを伝えている。つまり、教如上人が独立して本願寺を建立したことを伝えているので、難波別院が「東本願寺の発祥」であるともいわれている。

 また、徳川家康から京都の寺地を寄進され、いよいよ東本願寺が建立されていく中で、新たな梵鐘が鋳造されるまでは、この「大谷本願寺」銘の梵鐘が1603年に京都まで運ばれ、本山に吊るされていたという記録が残っている(上場顕雄著『住昔の宿縁~大阪教区の成り立ち~』難波別院発行・参照)。翌年には、東本願寺の新しい梵鐘が完成し、この梵鐘は大坂へと戻った。

二口の梵鐘所蔵

 「大谷本願寺」銘の梵鐘を永久に伝えるべく、1987(昭和62)年、当時の難波別院幹事であった故・能口久良雄氏(大阪教区第17組存空寺門徒)が、現在使用している梵鐘を寄進された。

 この新たな梵鐘は、富山県高岡市で鋳造され、同年10月25日の難波別院報恩講に合わせて盛大に撞き初め法要が営まれた。以来、「大谷本願寺」銘の梵鐘はその役目を終え、東本願寺発祥の歴史を伝えるべく境内に保存され、難波別院に二口の鐘が所蔵されることとなった。なお、大谷本願寺銘の梵鐘は「宗宝」の指定を受けている。

 ちなみに、この梵鐘には数ヵ所、表面をはぎ取ったような丸い傷が残っている。一説によると、第二次世界大戦中に行われた金属供出で、弾丸などの金属に適しているか検査をした跡ともいわれている。

 戦時中、多くの寺院に所蔵されていた梵鐘は兵器へと変貌させられた。現在、梵鐘を所蔵していない寺院でも、戦前までは所蔵していた寺院も少なくない。そのような暗い歴史が梵鐘にあることも忘れてはならない。

金属供出の検査跡と思われる傷が残る

生活の依り処に

 一般的に「除夜の鐘」には、百八つの煩悩を打ち消して「除災招福」を招く功徳があるとイメージする方も多いと思われる。しかし、真宗においては、そのような解釈はされていない。真宗の教えでは、人間の煩悩について、打ち消すことのできないものだと教えられている。

 難波別院や真宗寺院における「除夜の鐘」には、決して消すことのできない煩悩で覆われた暗い闇から、真宗の教えに出遇い、その教えを生活の依り処とすることで共に明るい世界へ生まれていこうという願いが込められている。

 難波別院の除夜の鐘にお越しの際、ぜひ二口の梵鐘に込められた願いを感じていただきたい。