宗憲改正40年に寄せて

20213月(704号)〜20216月(707号)掲載

【「宗憲改正40年に寄せて」を特集する背景】

『南御堂』新聞では、2021年6月に真宗大谷派宗憲が改正されて40年を迎えるにあたって4ヵ月にわたり特集を組んでいます。宗憲に掲げられた真宗教団として存在意義を、現代における諸課題と照らし合わせながら考えていきます。

2021年3月号

 本年6月は、真宗大谷派宗憲(以下、宗憲)が改正されて40年を迎える。宗憲とは、宗門の最高規範で、宗門運営の基本となる言わば「宗門の憲法」のような存在である。宗門の運営方針は、僧侶門徒の代表機関並びに内局によって決定されるが、宗憲の立憲の精神に矛盾背反し、宗憲の規定に抵触する決定や行為は無効とされる(宗憲第5条)。

 現行宗憲に定められている事柄の意味や背景、願いを訪ねてみると、現下の宗門の在り方が厳しく問われてくる。特に、宗憲には宗門が現代社会に存在している意義が明確に誓われているにもかかわらず、これに応える宗門になっているかという問題である。

 当紙では宗憲改正40年を勝縁として、今月号から4ヵ月にわたり、この問題について訪ねていきたい。今月号は、まず宗憲改正に至る背景やその意義を総論としてまとめ、次号からは宗憲前文に明示された三項目の「同朋社会の顕現」「宗本一体」「同朋の公議公論」を手がかりに順次特集していく。

 また、宗憲改正当時、「宗憲改正委員会」所管の宗制調査室主事として業務に当たっていた五辻信行氏(大垣教区光福寺住職)に、立憲の精神に照らして現宗門の課題を執筆いただき連載する。

念仏共同形成の悲願 ~“同朋社会の実現”を目的に~

 真宗大谷派宗憲が1981年6月5日に、宗議会において可決された時、多くのマスコミがそのことを報じた。当時、一般紙は一面大見出しで取り上げ、さらに関連記事を掲載して解説するなど、宗門内外で大きな関心が寄せられていたことが窺える。

 当時の宗門は、いわゆる「お東騒動」といわれる大谷家と宗派とが揉めに揉めていた。宗門存続の危機的状況に、マスコミもこぞって取り上げ、宗門内に関わる門徒も疑心暗鬼の状況にあった。そこで、宗憲改正を機に、宗門運営の正常化への歩みに向けた兆しが見えてきたのである。

 改正前の旧宗憲は、1946(昭和21)年に公布されたもので、日本国憲法の草案がその見本となった。戦前・戦中の厳しい宗教統制が解かれ、「信教の自由」が完全に保証された日本国憲法にわずかに先んじて公布された。1929(昭和4)年発布の宗憲や、戦時統制下の「宗制」に比べると、かなり近代化されたものとなる。

 しかし、宗務の運営面については、公議公論によることを強調しているものの、明治政府が宗教統制のために各宗に設置を強制した「管長」は依然として残されており、実際はそのような運営とは言い難いものであった。管長は、1951(昭和26)年の宗教法人法の制定により、宗派が包括宗教法人となった時、その法人の代表役員を担うこととなる。そして、宗祖の血統をひく本願寺住職が、自動的に法統をその一身に伝承する師主(能化者・善知識)として位置づけられ、これを「法主」と称していた。

 つまり、宗教法人法が制定され、宗門の世俗的側面を規定する宗教法人としての宗派及び本願寺の代表役員を、法主が兼任することになっていたのである。血統と法脈、さらに統治権と法人の代表権とを、このように一身に占有する制度の下、権威や権力が集中していたのである(一人で「法主」「本願寺住職」「管長」を兼務していたことを“三位一体”といった)。

 そして、その絶対的な権力をもった法主に、不当な利にあやかろうと近づく者が姿を表わすようになっていた。また一方で、1969(昭和44)年4月には、法主が手続きを経ずに、一方的に管長職のみを長男の大谷光紹氏に譲ると発表した「開申事件」が起こった。

 それからは、次々と大谷家をめぐる、いわゆる「教団問題」(詳細5月号)が起こり、収集がつかないほどの混乱に陥ることになる。

 このような権力の乱用による混乱が起こったのは、当事者の宗憲に対する勝手な解釈や法規無視という非違行為によることは言うまでもないが、法規そのものにも不備があり、これを抜本的に改める必要性があった。

 宗憲改正の世論が急激に湧き起こったことを考えると、教団問題がそのきっかけを作ったことは間違いない。

 しかし、この宗憲改正事業は、単に宗門の世俗的混乱を収め、正常化の目的だけに意図されたものではない。宗憲改正に至る背景には、すでに宗門内でも、時代の要請に応えるべく、本来の真宗教団としての在り方を示し、宗門の現状を問う歩みがあったからに他ならない。

暁烏敏
暁烏 敏 師
宮谷包含
宮谷 包含 師

 その歩みを辿ってみると、まず旧宗憲施行後の数年を経た、1951(昭和26)年頃、疲弊と荒廃にあえいでいた宗門に対して、宗務総長であった暁烏敏師が、「同朋生活運動」を提唱したことが挙げられる。信仰の枯渇した宗門に、念仏の信の回復を叫び、10年後に迫る宗祖御遠忌も念仏の信心なくしてはあり得ないと訴えられたのである。また、1956(昭和31)年に宮谷法含師が宗務総長になった時には、宗門の現状に懺悔し、教学の在り方や財政の在り方など、将来の展望が記された「宗門白書」が発表された。

 すでにその頃から、単に宗門の護持に力点をおく宗憲を改めて、信仰をいのちとする教団体制に整えるべきであるとの声が出始め、以来いくたびか宗憲改正のための調査審議機関が設けられた。しかし、宗門における封建的な体制、法主制への根深い尊崇の念はぬぐえず、機は熟さなかった。

 そして宗憲は改められることなく、宗祖御遠忌は迎えられたが、その翌年に「真宗同朋会条例」が公布され、真宗同朋会運動が提唱される。ここで、教法聞信の自覚に基づく社会形成に寄与していくことが宣言されたのである。さらに、この同朋会運動の実践を通して、1966(昭和41)年には布教条例を廃して、「教化条例」を制定し、真宗大谷派における最も中心となる布教・教化は、“教法の実践による同朋社会の形成にある”ことを明確に示した。

 そもそも、この二つの条例は、旧宗憲からは決して素直には流れ出ない性質のものである。時代の要請は宗憲改正を待ちきれず、真の信仰心からの教団の在り方を問い、実践する動きにあった。

 したがって、教団問題が起こらなくとも、時代の要請と志願に応えるために、信を自らのいのちとし僧伽の形成に寄与していく、すなわち「同朋社会」を創造していく宗憲の制定に自ずと、宗祖の精神に帰ろうとする本来化の方向へと向かっていたともいえる。

前文で宗門自らの使命を明らかにし ~恣意的曲解を許さない~

 旧宗憲を「全部改正」する形で刷新された現行宗憲は、前文と13章101ヵ条の本則によって制定された。

 前文では、宗祖親鸞聖人の立教開宗の意義、宗門の原形と生成の歴史、宗門存立の本義、宗門運営の理念が明確にうたわれている。

 旧宗憲では、しばしば条文の恣意的曲解が起こり、教団問題の根を一層深くしたため、新宗憲ではそのような危険を避けるためにも、この前文をもって各条文の解釈の規範とするよう位置づけられた。前文に明記されている3項目(別項)の「同朋社会の顕現」「宗本一体」「同朋の公議公論」は、宗門運営の根幹を明らかにしているのである。

 新宗憲は、前述のとおり、単に宗門の混乱を繰り返さないために制定されたものではなく、それは限りなく親鸞聖人の精神を現代社会に顕現することを願いとして改正されている。その願いとは、教法によって統理された同朋社会の実現にある。

 前文では、「すべての宗門に属する者は、常に自身教人信の誠を尽くし、同朋社会の顕現に努める」とうたわれ、第一章総則第二条では「本派は、宗祖親鸞聖人の立教開宗の精神に則り、(中略)もって同朋社会を実現することを目的とする」と明記されている。

 宗門の総意で宗門自らの願いと使命を明らかにするということは、宗門護持を本旨としていた旧宗憲にはなかったことで、画期的なことであった。

 同朋社会の実現こそ、宗祖親鸞聖人が願われた念仏の共同体の形成を意味するものであり、悲願であったところに立ち帰ったのである。これは、苦悩する人類の永遠の課題に応えるという、教団の存在が明確に示されたといえる(詳細4月号)。

 宗門は、時代社会の課題に、同朋社会の実現をもって応えていくことを、その基本法である宗憲に明記して宣言したことで、ここに大きな方向と展望が開かれた。

 また、一般的に「東本願寺」と呼ばれていたものを「真宗本廟」と呼ぶようになったのは新宗憲からである。これは、宗祖親鸞聖人の御真影のましますところ(=廟所)という意味が強調されたことで正式にこのようになった。「真宗本廟」という呼び名は、特に新しいものではなく、むしろ本願寺の発祥に立ち帰った名称である。また、そういう意味からも、「大師堂」を改めて「御影堂」と呼ぶことにもなった。

 新宗憲では、その意義を明らかにし、真宗本廟を全宗門の「帰依処」とした。もちろん真宗門徒にとって宗祖の教言が帰依処となるが、これを象徴する形は、“今現在説法”の御真影となる。このように、真宗門徒の崇敬と聞法の中心道場であることを明確にしたのである。

 また法主について、新宗憲では「門首」と位置づけられた。門首とは、宗門の上首という意味で、特に首は「はじめ」という重要な意義をもつ。そもそも法主というと、教法の主という意味で、厳密には如来を指す言葉でもある。一人の人格に対して法主と呼称することは、本来の真宗のみ教えからは相容れられないものとなっていた。

 門首の呼称が定まるまでには、門主の用語も検討されたが、「主」は従に対する言葉で、主従関係を意味することとなってしまう。これは宗祖親鸞聖人の御同朋の精神に背くことであり、同朋教団の理念にも反することとなるので、「門首」と定められた。

 さらに門首は、法主のような宗教的権威をもった能化者として君臨するのではなく、僧侶・門徒の象徴として、その先頭に立ち教法を聞信する立場が明確になった。

 また、「管長」「本願寺住職」は、一つの宗教法人の「真宗大谷派」となることで、宗務総長がその代表役員となり、宗務行政を行うことで解消された(詳細5月号)。

 そして、宗門の運営は、「同朋の公議公論」によることが強く打ち出され、門徒の宗政参加が開かれた。従来は、僧侶の代表者による宗議会が、宗門立法機関として重要な位置をしめており、門徒の代表者は「門徒評議員会」として組織されていたものの、その機能が限定されていた。そこで、門徒評議員会が発展的に解消され、門徒による議決機関として「参議会」が新設されたのである(詳細6月号)。

 参議会には、宗議会と同様に宗務総長の指名のほか、すべての議案にわたる議決権、議案の発議権が与えられている。これによって、宗門は名実ともに同朋公議を実践し、広く衆知を集めて宗門運営を行っていくこととなったのである。

立憲の精神に矛盾背反~すべての法整備完遂~

 このように宗憲改正によって、本来の真宗教団としての在り方が明確に示されることで、宗門運営の展望が開かれたのである。

 しかし、宗憲成立と同時に関係条例の改正も図られたが、なおも宗憲の立憲の精神に矛盾・違反する諸制度の見直しには、更に10年に及ぶ歳月を経て、漸く一応の法整備に区切りをつけることになる。寺格条例の廃止、堂斑法衣条例の改廃並びに男女平等の法整備など、改めて宗祖親鸞聖人の教えに立ち返らんとする歩みが進められた。

 宗憲改正の法整備は、「同朋社会の実現」に向けて「同朋会運動」を強力に推し進める教団の確立と本来化を期したものであった。

 次号からは、この宗憲改正の意義や願いを確認しながら、現代の宗門の諸問題に触れ、読者の皆さんと課題を共有していきたい。

立教開宗八百年を目睫の間とし 宗憲改正40年を迎えるにあたって

~同朋会運動の願い・教団問題の危機・宗憲改正の精神を踏まえて~❶

執筆;大垣教区光福寺住職・五辻信行氏

 2021年6月11日は、現行真宗大谷派宗憲が公布施行されて40年を迎えます。この宗憲を生み出すために、宗門の現代史を担った先人たちは未曾有の混迷の中で立ち上がり、ご苦労を重ねて宗祖の立教開宗のご精神に立ち帰り、宗門存立の本義と宗門の在るべき在り方を闡明されたのであります。2023年の立教開宗800年が目睫の間となる今日、宗憲が指し示す教団の方向(具体)を明確にし、教団活動の実を挙げなければならない秋を迎えています。

 この宗憲の立憲の精神とは、具体的には宗憲前文に高く掲げられた、宗門存立の本義を闡明し宗門運営の根幹を確認した3項目の誓詞です(別項)。

 この3項目は、これまで宗政・宗務の現場で頻繁に取り上げられ、宗門的課題となるように様々なかたちではたらきかけられてきました。しかしながら、今日これに相応する宗門となり得ているかと問い直してみると、必ずしも十分とは言えないように思います。むしろ、この立憲の精神に背反するような事例が散見されるように思うのですが、それは私一人だけなのでしょうか。ここにその事例を一々取り上げていると、いたずらに宗政・宗務のありようを批判しているような誤解を招きかねませんが、このまま黙視し続けることは、問題の根を深くし、かつて大きな過ちを引き起こした教団問題の二の舞を招きかねません。そこで宗務の現場に長らく身を置かせていただいた者として、慚愧と悲歎の念を賜わってどこまでも自己批判の視点を保ちつつ、恐れながら所見を披瀝させていただきたいと思います。

 これに先立ち、この3項目が何を願いとしているのかについて、私なりにこれまで聞いてきたことを、先ずここに確認しておきたいと思います。

 第一は、「宗門の存立の本義」を表わしています。大谷派なる宗門は、何のために現代社会に存立しているのか、その目的を「同朋社会の顕現(実現)とする」というのであります。これはいわゆる建前だけの話ではなく、歴史的社会的現実に決して消えることのない具体的な差別の問題を真摯に受け止め、常に教法に照らされて無明の闇が破られる絶対平等の世界を切り拓き、「いのちの尊厳と存在の平等」を実現することです。そこには常に差別のない社会を願って苦悩する世の声があり、その問題提起に共感して呼応する機能が、真宗教団に常に保持されているとともに、私たち一人ひとりもそのような姿勢を保って教学教化に係わらなければならないということでないでしょうか。たとえば部落解放同盟からの糾弾や問題提起の声は、「同朋社会の顕現(実現)」のための勝機であり、自身の教団活動(聞法生活)が生きてはたらくための原動力となっていかなければならないと思います。

宗務所議場で行われる宗議会の様子(2019年撮影)

 第二は、宗門の組織理念を表しています。大谷派宗門は、何を中心とする教団か…。権威や権力を有する人が中心に君臨するのではなく、あくまで親鸞聖人が開顕された浄土真実の教法を中心に集う社団(同朋教団)であり、「法が大衆を統理」する仏教の基本理念を具体する宗門であるということです。「立教開宗」の根本に繋がる課題であると思います。

 これは、旧宗憲の法主制が引き摺っていた「血統によって法統を継承する師主(能化者)」を宗門の中心とする封建体制を打破するということ以上に、教化の現場である寺(聞法の道場)にあっても、住職・坊守も門徒の一員となって共に教法を聞信する座に着き「御同朋御同行」の平座の関係をどこまでも尊重して、それぞれの職務を全うするということです。

 この宗憲に基づく初めての「門首継承式」以来、これに臨まれるご門首は、宗祖親鸞聖人の御真影前に平座にて起たれ、「同朋の先頭に立ち教法を聞信し、御影堂留守(御真影のお給仕と仏祖崇敬)の職責を全うする」旨の誓いを表明されておりますのも、この基本精神に立脚してのことに他なりません。

 第三は、宗門・寺門の運営責任者の基本姿勢を示しています。内局や教務所長の宗務の執行はもとより一ヵ寺一ヵ寺の運営においても、何人の専横専断を許さず、聴聞はもとより「同朋の寄り合い談合(蓮如上人御一代聞書120他)」の場に人が集うことをどこまでも大切にして、宗門・寺門の世論の帰趨を十分見極め、常に丁寧な説明を尽くし同朋の信頼を得てすべての事業を推進するというごく当たり前のことです。

 これらの課題は、本山や教区のことに限った問題のように受止められがちですが、聞法の道場である全国8600ヵ寺の運営の根幹でもあり、また、門徒会や推進員などの門徒組織においても同様のことであります。〈つづく〉