宗憲改正40年に寄せて

20213月(704号)〜20216月(707号)掲載

【「宗憲改正40年に寄せて」を特集する背景】

『南御堂』新聞では、2021年6月に真宗大谷派宗憲が改正されて40年を迎えるにあたって4ヵ月にわたり特集を組んでいます。宗憲に掲げられた真宗教団として存在意義を、現代における諸課題と照らし合わせながら考えていきます。

2021年3月号

 本年6月は、真宗大谷派宗憲(以下、宗憲)が改正されて40年を迎える。宗憲とは、宗門の最高規範で、宗門運営の基本となる言わば「宗門の憲法」のような存在である。宗門の運営方針は、僧侶門徒の代表機関並びに内局によって決定されるが、宗憲の立憲の精神に矛盾背反し、宗憲の規定に抵触する決定や行為は無効とされる(宗憲第5条)。

 現行宗憲に定められている事柄の意味や背景、願いを訪ねてみると、現下の宗門の在り方が厳しく問われてくる。特に、宗憲には宗門が現代社会に存在している意義が明確に誓われているにもかかわらず、これに応える宗門になっているかという問題である。

 当紙では宗憲改正40年を勝縁として、今月号から4ヵ月にわたり、この問題について訪ねていきたい。今月号は、まず宗憲改正に至る背景やその意義を総論としてまとめ、次号からは宗憲前文に明示された三項目の「同朋社会の顕現」「宗本一体」「同朋の公議公論」を手がかりに順次特集していく。

 また、宗憲改正当時、「宗憲改正委員会」所管の宗制調査室主事として業務に当たっていた五辻信行氏(大垣教区光福寺住職)に、立憲の精神に照らして現宗門の課題を執筆いただき連載する。

念仏共同形成の悲願 ~“同朋社会の実現”を目的に~

 真宗大谷派宗憲が1981年6月5日に、宗議会において可決された時、多くのマスコミがそのことを報じた。当時、一般紙は一面大見出しで取り上げ、さらに関連記事を掲載して解説するなど、宗門内外で大きな関心が寄せられていたことが窺える。

 当時の宗門は、いわゆる「お東騒動」といわれる大谷家と宗派とが揉めに揉めていた。宗門存続の危機的状況に、マスコミもこぞって取り上げ、宗門内に関わる門徒も疑心暗鬼の状況にあった。そこで、宗憲改正を機に、宗門運営の正常化への歩みに向けた兆しが見えてきたのである。

 改正前の旧宗憲は、1946(昭和21)年に公布されたもので、日本国憲法の草案がその見本となった。戦前・戦中の厳しい宗教統制が解かれ、「信教の自由」が完全に保証された日本国憲法にわずかに先んじて公布された。1929(昭和4)年発布の宗憲や、戦時統制下の「宗制」に比べると、かなり近代化されたものとなる。

 しかし、宗務の運営面については、公議公論によることを強調しているものの、明治政府が宗教統制のために各宗に設置を強制した「管長」は依然として残されており、実際はそのような運営とは言い難いものであった。管長は、1951(昭和26)年の宗教法人法の制定により、宗派が包括宗教法人となった時、その法人の代表役員を担うこととなる。そして、宗祖の血統をひく本願寺住職が、自動的に法統をその一身に伝承する師主(能化者・善知識)として位置づけられ、これを「法主」と称していた。

 つまり、宗教法人法が制定され、宗門の世俗的側面を規定する宗教法人としての宗派及び本願寺の代表役員を、法主が兼任することになっていたのである。血統と法脈、さらに統治権と法人の代表権とを、このように一身に占有する制度の下、権威や権力が集中していたのである(一人で「法主」「本願寺住職」「管長」を兼務していたことを“三位一体”といった)。

 そして、その絶対的な権力をもった法主に、不当な利にあやかろうと近づく者が姿を表わすようになっていた。また一方で、1969(昭和44)年4月には、法主が手続きを経ずに、一方的に管長職のみを長男の大谷光紹氏に譲ると発表した「開申事件」が起こった。

 それからは、次々と大谷家をめぐる、いわゆる「教団問題」(詳細5月号)が起こり、収集がつかないほどの混乱に陥ることになる。

 このような権力の乱用による混乱が起こったのは、当事者の宗憲に対する勝手な解釈や法規無視という非違行為によることは言うまでもないが、法規そのものにも不備があり、これを抜本的に改める必要性があった。

 宗憲改正の世論が急激に湧き起こったことを考えると、教団問題がそのきっかけを作ったことは間違いない。

 しかし、この宗憲改正事業は、単に宗門の世俗的混乱を収め、正常化の目的だけに意図されたものではない。宗憲改正に至る背景には、すでに宗門内でも、時代の要請に応えるべく、本来の真宗教団としての在り方を示し、宗門の現状を問う歩みがあったからに他ならない。

暁烏敏
暁烏 敏 師
宮谷包含
宮谷 包含 師

 その歩みを辿ってみると、まず旧宗憲施行後の数年を経た、1951(昭和26)年頃、疲弊と荒廃にあえいでいた宗門に対して、宗務総長であった暁烏敏師が、「同朋生活運動」を提唱したことが挙げられる。信仰の枯渇した宗門に、念仏の信の回復を叫び、10年後に迫る宗祖御遠忌も念仏の信心なくしてはあり得ないと訴えられたのである。また、1956(昭和31)年に宮谷法含師が宗務総長になった時には、宗門の現状に懺悔し、教学の在り方や財政の在り方など、将来の展望が記された「宗門白書」が発表された。

 すでにその頃から、単に宗門の護持に力点をおく宗憲を改めて、信仰をいのちとする教団体制に整えるべきであるとの声が出始め、以来いくたびか宗憲改正のための調査審議機関が設けられた。しかし、宗門における封建的な体制、法主制への根深い尊崇の念はぬぐえず、機は熟さなかった。

 そして宗憲は改められることなく、宗祖御遠忌は迎えられたが、その翌年に「真宗同朋会条例」が公布され、真宗同朋会運動が提唱される。ここで、教法聞信の自覚に基づく社会形成に寄与していくことが宣言されたのである。さらに、この同朋会運動の実践を通して、1966(昭和41)年には布教条例を廃して、「教化条例」を制定し、真宗大谷派における最も中心となる布教・教化は、“教法の実践による同朋社会の形成にある”ことを明確に示した。

 そもそも、この二つの条例は、旧宗憲からは決して素直には流れ出ない性質のものである。時代の要請は宗憲改正を待ちきれず、真の信仰心からの教団の在り方を問い、実践する動きにあった。

 したがって、教団問題が起こらなくとも、時代の要請と志願に応えるために、信を自らのいのちとし僧伽の形成に寄与していく、すなわち「同朋社会」を創造していく宗憲の制定に自ずと、宗祖の精神に帰ろうとする本来化の方向へと向かっていたともいえる。

前文で宗門自らの使命を明らかにし ~恣意的曲解を許さない~

 旧宗憲を「全部改正」する形で刷新された現行宗憲は、前文と13章101ヵ条の本則によって制定された。

 前文では、宗祖親鸞聖人の立教開宗の意義、宗門の原形と生成の歴史、宗門存立の本義、宗門運営の理念が明確にうたわれている。

 旧宗憲では、しばしば条文の恣意的曲解が起こり、教団問題の根を一層深くしたため、新宗憲ではそのような危険を避けるためにも、この前文をもって各条文の解釈の規範とするよう位置づけられた。前文に明記されている3項目(別項)の「同朋社会の顕現」「宗本一体」「同朋の公議公論」は、宗門運営の根幹を明らかにしているのである。

 新宗憲は、前述のとおり、単に宗門の混乱を繰り返さないために制定されたものではなく、それは限りなく親鸞聖人の精神を現代社会に顕現することを願いとして改正されている。その願いとは、教法によって統理された同朋社会の実現にある。

 前文では、「すべての宗門に属する者は、常に自身教人信の誠を尽くし、同朋社会の顕現に努める」とうたわれ、第一章総則第二条では「本派は、宗祖親鸞聖人の立教開宗の精神に則り、(中略)もって同朋社会を実現することを目的とする」と明記されている。

 宗門の総意で宗門自らの願いと使命を明らかにするということは、宗門護持を本旨としていた旧宗憲にはなかったことで、画期的なことであった。

 同朋社会の実現こそ、宗祖親鸞聖人が願われた念仏の共同体の形成を意味するものであり、悲願であったところに立ち帰ったのである。これは、苦悩する人類の永遠の課題に応えるという、教団の存在が明確に示されたといえる(詳細4月号)。

 宗門は、時代社会の課題に、同朋社会の実現をもって応えていくことを、その基本法である宗憲に明記して宣言したことで、ここに大きな方向と展望が開かれた。

 また、一般的に「東本願寺」と呼ばれていたものを「真宗本廟」と呼ぶようになったのは新宗憲からである。これは、宗祖親鸞聖人の御真影のましますところ(=廟所)という意味が強調されたことで正式にこのようになった。「真宗本廟」という呼び名は、特に新しいものではなく、むしろ本願寺の発祥に立ち帰った名称である。また、そういう意味からも、「大師堂」を改めて「御影堂」と呼ぶことにもなった。

 新宗憲では、その意義を明らかにし、真宗本廟を全宗門の「帰依処」とした。もちろん真宗門徒にとって宗祖の教言が帰依処となるが、これを象徴する形は、“今現在説法”の御真影となる。このように、真宗門徒の崇敬と聞法の中心道場であることを明確にしたのである。

 また法主について、新宗憲では「門首」と位置づけられた。門首とは、宗門の上首という意味で、特に首は「はじめ」という重要な意義をもつ。そもそも法主というと、教法の主という意味で、厳密には如来を指す言葉でもある。一人の人格に対して法主と呼称することは、本来の真宗のみ教えからは相容れられないものとなっていた。

 門首の呼称が定まるまでには、門主の用語も検討されたが、「主」は従に対する言葉で、主従関係を意味することとなってしまう。これは宗祖親鸞聖人の御同朋の精神に背くことであり、同朋教団の理念にも反することとなるので、「門首」と定められた。

 さらに門首は、法主のような宗教的権威をもった能化者として君臨するのではなく、僧侶・門徒の象徴として、その先頭に立ち教法を聞信する立場が明確になった。

 また、「管長」「本願寺住職」は、一つの宗教法人の「真宗大谷派」となることで、宗務総長がその代表役員となり、宗務行政を行うことで解消された(詳細5月号)。

 そして、宗門の運営は、「同朋の公議公論」によることが強く打ち出され、門徒の宗政参加が開かれた。従来は、僧侶の代表者による宗議会が、宗門立法機関として重要な位置をしめており、門徒の代表者は「門徒評議員会」として組織されていたものの、その機能が限定されていた。そこで、門徒評議員会が発展的に解消され、門徒による議決機関として「参議会」が新設されたのである(詳細6月号)。

 参議会には、宗議会と同様に宗務総長の指名のほか、すべての議案にわたる議決権、議案の発議権が与えられている。これによって、宗門は名実ともに同朋公議を実践し、広く衆知を集めて宗門運営を行っていくこととなったのである。

立憲の精神に矛盾背反~すべての法整備完遂~

 このように宗憲改正によって、本来の真宗教団としての在り方が明確に示されることで、宗門運営の展望が開かれたのである。

 しかし、宗憲成立と同時に関係条例の改正も図られたが、なおも宗憲の立憲の精神に矛盾・違反する諸制度の見直しには、更に10年に及ぶ歳月を経て、漸く一応の法整備に区切りをつけることになる。寺格条例の廃止、堂斑法衣条例の改廃並びに男女平等の法整備など、改めて宗祖親鸞聖人の教えに立ち返らんとする歩みが進められた。

 宗憲改正の法整備は、「同朋社会の実現」に向けて「同朋会運動」を強力に推し進める教団の確立と本来化を期したものであった。

 次号からは、この宗憲改正の意義や願いを確認しながら、現代の宗門の諸問題に触れ、読者の皆さんと課題を共有していきたい。

立教開宗八百年を目睫の間とし 宗憲改正40年を迎えるにあたって

~同朋会運動の願い・教団問題の危機・宗憲改正の精神を踏まえて~❶

執筆;大垣教区光福寺住職・五辻信行氏

 2021年6月11日は、現行真宗大谷派宗憲が公布施行されて40年を迎えます。この宗憲を生み出すために、宗門の現代史を担った先人たちは未曾有の混迷の中で立ち上がり、ご苦労を重ねて宗祖の立教開宗のご精神に立ち帰り、宗門存立の本義と宗門の在るべき在り方を闡明されたのであります。2023年の立教開宗800年が目睫の間となる今日、宗憲が指し示す教団の方向(具体)を明確にし、教団活動の実を挙げなければならない秋を迎えています。

 この宗憲の立憲の精神とは、具体的には宗憲前文に高く掲げられた、宗門存立の本義を闡明し宗門運営の根幹を確認した3項目の誓詞です(別項)。

 この3項目は、これまで宗政・宗務の現場で頻繁に取り上げられ、宗門的課題となるように様々なかたちではたらきかけられてきました。しかしながら、今日これに相応する宗門となり得ているかと問い直してみると、必ずしも十分とは言えないように思います。むしろ、この立憲の精神に背反するような事例が散見されるように思うのですが、それは私一人だけなのでしょうか。ここにその事例を一々取り上げていると、いたずらに宗政・宗務のありようを批判しているような誤解を招きかねませんが、このまま黙視し続けることは、問題の根を深くし、かつて大きな過ちを引き起こした教団問題の二の舞を招きかねません。そこで宗務の現場に長らく身を置かせていただいた者として、慚愧と悲歎の念を賜わってどこまでも自己批判の視点を保ちつつ、恐れながら所見を披瀝させていただきたいと思います。

 これに先立ち、この3項目が何を願いとしているのかについて、私なりにこれまで聞いてきたことを、先ずここに確認しておきたいと思います。

 第一は、「宗門の存立の本義」を表わしています。大谷派なる宗門は、何のために現代社会に存立しているのか、その目的を「同朋社会の顕現(実現)とする」というのであります。これはいわゆる建前だけの話ではなく、歴史的社会的現実に決して消えることのない具体的な差別の問題を真摯に受け止め、常に教法に照らされて無明の闇が破られる絶対平等の世界を切り拓き、「いのちの尊厳と存在の平等」を実現することです。そこには常に差別のない社会を願って苦悩する世の声があり、その問題提起に共感して呼応する機能が、真宗教団に常に保持されているとともに、私たち一人ひとりもそのような姿勢を保って教学教化に係わらなければならないということでないでしょうか。たとえば部落解放同盟からの糾弾や問題提起の声は、「同朋社会の顕現(実現)」のための勝機であり、自身の教団活動(聞法生活)が生きてはたらくための原動力となっていかなければならないと思います。

宗務所議場で行われる宗議会の様子(2019年撮影)

 第二は、宗門の組織理念を表しています。大谷派宗門は、何を中心とする教団か…。権威や権力を有する人が中心に君臨するのではなく、あくまで親鸞聖人が開顕された浄土真実の教法を中心に集う社団(同朋教団)であり、「法が大衆を統理」する仏教の基本理念を具体する宗門であるということです。「立教開宗」の根本に繋がる課題であると思います。

 これは、旧宗憲の法主制が引き摺っていた「血統によって法統を継承する師主(能化者)」を宗門の中心とする封建体制を打破するということ以上に、教化の現場である寺(聞法の道場)にあっても、住職・坊守も門徒の一員となって共に教法を聞信する座に着き「御同朋御同行」の平座の関係をどこまでも尊重して、それぞれの職務を全うするということです。

 この宗憲に基づく初めての「門首継承式」以来、これに臨まれるご門首は、宗祖親鸞聖人の御真影前に平座にて起たれ、「同朋の先頭に立ち教法を聞信し、御影堂留守(御真影のお給仕と仏祖崇敬)の職責を全うする」旨の誓いを表明されておりますのも、この基本精神に立脚してのことに他なりません。

 第三は、宗門・寺門の運営責任者の基本姿勢を示しています。内局や教務所長の宗務の執行はもとより一ヵ寺一ヵ寺の運営においても、何人の専横専断を許さず、聴聞はもとより「同朋の寄り合い談合(蓮如上人御一代聞書120他)」の場に人が集うことをどこまでも大切にして、宗門・寺門の世論の帰趨を十分見極め、常に丁寧な説明を尽くし同朋の信頼を得てすべての事業を推進するというごく当たり前のことです。

 これらの課題は、本山や教区のことに限った問題のように受止められがちですが、聞法の道場である全国8600ヵ寺の運営の根幹でもあり、また、門徒会や推進員などの門徒組織においても同様のことであります。〈つづく〉

2021年4月号

 本年6月に「真宗大谷派宗憲改正」から40年を迎えるにあたり、当紙では4回にわたって特集を行っている。2回目となる今月号は、宗憲前文に掲げられた「同朋社会の顕現」をテーマに、今、宗門が担うべき要となる問題を取り上げていく。

 私たちの宗門は「同朋会運動」という純粋なる信仰運動において、教団の在り方を見直してきた。しかし、その歩みの最中に、幾度となく「糾弾」という形で、被差別部落の方々から、真宗の教えを聞く者としての「宗教性」が問われてきた。自身の中に在る差別性と向き合うと同時に、“同朋社会の顕現から問われている一人ひとりの課題”を明らかにしなければ、「同朋社会の顕現」は成しえないのではないだろうか。

 まさに「同朋社会の顕現」は、“私たちの宗門が何のために社会に存立しているのか”を明らかにするための重要なテーマであり、宗門活動に関わる者一人ひとりが、時代社会の要請に応えられているのかという問いかけでもある。

 今回、同朋大学名誉教授の池田勇諦氏に「同朋社会の顕現とは―自己・教団を貫いて―」と題して執筆いただくと共に、前号に引き続き元難波別院輪番の五辻信行氏の寄稿(第2回)をお届けする。

同朋会運動の課題~被差別の“いたみ”に照破されて

 「同朋社会」という文言は、1981(昭和56)年、現行の宗憲になって初めて「同朋社会の顕現(前文)」や「同朋社会の実現(第二条)」として表現されている。それまでは「同朋教団」や「教法社会」という表現で教団論が語られていたという。

 この背景には、1977(昭和52)年4月15日に開催された「同朋会運動十五周年全国大会」の中で、基本課題として打ち出された「①古い宗門体質の克服」「②現代社会との接点をもつ」「③真宗門徒としての自覚と実践」の3点が影響していることに注目したい。この3つの課題を起点に「教団問題」の取り組むべき課題の本質が明確に確認されていった。その後、議論を重ね、法制上の最も相応しい言葉として「同朋社会」が選ばれたのである。

 この同朋会運動発足十五年目には、当時の宗務総長・嶺藤亮氏が運動の点検総括を行い、成果と問題点が発表された。当時の資料には「同朋会運動発足当初において、その精神が充分に理解されていない面もあり、一部に誤解と偏見を生じ、運動のひろがりに問題を残しました」とあるように、古い宗門体質の克服には、様々な困難があったことが窺える。

 そもそも、何をもって「同朋社会の顕現」とするのか、その視座が明らかでなければならない。宗門は、この度の慶讃法要において同朋社会の実現を目指し、様々な施策を実施する。その方針を受けて各教区や別院、組においても一丸となって慶讃法要をお迎えするべきである。慶讃事業の方針として「①宗門の基盤づくり―新たな教化体制の構築」「②本願念仏に生きる人の誕生と場の創造」「③あらゆる人々に向けた『真宗の教え』の発信」の3点を掲げているわけだが、具体的にどう社会とつながっていけるのか。そこで確かめるべき大切なことは、“同朋社会の顕現から問われている一人ひとりの課題”と、“差別問題の認識と取り組み”ではないだろうか。

 差別の問題に関して、宗門では以前より、法整備や専門部局の設置などを行ってきた。この問題の原点は、1922(大正11)年「全国水平社」創立である。同社からは、「本願寺教団は、その時々の権力体制に見合うように生きることで自らを保持し、自らの内に差別的制度を持ち、そのことに何の矛盾も感じさせないような教学を『教え』としてきた」という厳しい指摘も窺え、これは単なる宗門批判ではなく、共に親鸞聖人の教えを聞く御同朋としての姿を問われたのであった。

 水平社創立から45年、宗門が初めて部落解放同盟の糾弾を受けたのは、1967(昭和42)年の「難波別院輪番差別事件」である。これは、当時の輪番が、被差別部落出身の男性職員と交際していた女性職員に対し交際を絶つように勧め、精神的苦痛を与えた差別事件である。この出来事は、単に輪番個人の言動の問題に止まらず、宗門の体質そのものに根強く潜む差別的体質が問題視された。

 その後も宗門内では様々な差別事件が相次いだわけだが、1987(昭和62)年には「全推協叢書『同朋社会の顕現』差別事件」が起こる。同事件では元宗務総長・訓覇信雄氏による真宗同朋の会全国推進員連絡協議会の全国集会での講演の中で、多くの差別的表現があった事で糾弾された。ここでは、難波別院輪番差別事件から20年の間に次々に起こされた差別発言の度ごとに糾弾を受け反省と課題共有を重ねてきたはずが、これらが生かされていない事が浮き彫りになったと言える。

 こうした問題を通じて、教団内部の差別体質の点検と変革をめざし、同朋会運動における部落差別問題の位置づけを明確にした。

難波別院輪番差別事件では厳しい糾弾(提供=解放新聞社大阪支局)

『観経』の「是旃陀羅」問題 ~水平社創立以来の指摘 真剣さの欠如に批判が~

 “『観無量寿経』の「是旃陀羅」の教説部分は、被差別者にとってはやりきれないほど、心に痛みをかんじるところである”(『親鸞思想に魅せられて』所収・明石書店)。

 宗門に対してこうメッセージを発したのは、部落解放同盟広島県連合会の小森龍邦氏である。

 「是旃陀羅」とは、『観無量寿経』の序文、禁母縁の中の教説で、母殺しを企てる阿闍世王に対し、月光大臣が「(母殺しを行うような者は)まるで是旃陀羅のような悪逆の者だ」と諫めた内容である(※旃陀羅はインド古代の被差別民「チャンダーラ」のこと)。その言葉が日本に伝わり、差別と結び付き、大谷派宗門においても、「旃陀羅とは穢多・非人のような者だ」と譬えて布教を行っていた事実がある。この問題については、水平社創立以来問われ続けており、「差別されるものの苦悩を、経典を読むものが感じ取ってこなかった」(泉惠機氏『大谷学報』第73巻3号)と言える。

 この問題はさらに、同社の井元麟之氏によって部落解放運動として広がりを見せていく。井元氏は、戦後もこの問題を問い続け、「場合によっては幾多の差別観念を生み、これを助長させている“旃陀羅”の今日的立場からの語句訂正は、むしろ親鸞聖人の本意に添うのではないか」と、経典の訂正をも提起している。しかし、それに対し東西両本願寺とも経典の語句の訂正には至っていない。

現代の聖典(改訂版)

 2013年にはさらに、同広島県連より、『現代の聖典・学習の手引き』に所収の「解説・是旃陀羅について」の箇所に差別的表現があると指摘され、「『旃陀羅』問題を受け止める真剣さの欠如及び、その問題点が徹底されていないことの現れ」(『真宗』2015年2月号)であると問われた。

 『現代の聖典』は、「同朋の会」のテキストとして、同朋会運動発足以来、長年にわたり改訂を重ねつつ親しまれてきた。テキストでは特に『観無量寿経』の内容を通じて、“仏教の内容が現実の問題とどう結びつくのか”など、生活に即した問題を取り上げている。

 広島県連から差別的表現が指摘された後、2015年2月の『真宗』において問題個所の訂正を報告した。しかし、「月光大臣の視座と『観経』それ自体の視座とは違う」(テキスト377頁)という宗派の認識について、“『観経』の内容自体が差別観念を増幅させている”という指摘には、未だ応えられていない。他の聖教にある差別表記の問題にも、未だ公式見解が表明されていない。

 『現代の聖典』は多くの僧侶門徒に依用されてきた。しかし、親鸞聖人の教えを聞きながら差別の問題に向き合えず、社会問題を信心の課題として受け止められていないことが問題となっているのではないだろうか。「宗祖が立たれた『われら』の地平に立ち返るならば、差別の問題が信心の課題であることは明らかである」「差別の問題をはじめ様々な社会の問題が信心の課題として受け止められず、『なぜ寺院で社会の問題を取り上げ、また取り組むのか』という声をしばしば耳にする」(2017年「部落差別問題等に関する教学委員会」報告書)これが宗門の現状であり、本質的問題は、一人ひとりの課題への向き合い方といえる。 

各地で講演を行う小森氏

“権仮の仁として説かれんことを”

 明治から昭和にかけて、宗務に係わって部落差別の克服に生涯をかけた武内了温氏は、全国の僧侶に檄文を発し、「旃陀羅は悪逆賤視の代表として説くなかれ、往生正機正客の大聖権化の仁として説かれむことを」と呼びかけた。これは、当時宗門内の多くの僧侶が「旃陀羅」を「穢多・非人」と結びつけて、被差別部落の人々を差別していたことに対する訴えであり、被差別者の「いたみ」に照破された言葉である。武内氏は、経典の解釈というより、差別問題を問う実践的立場から旃陀羅をそう見定め問題提起したのではないだろうか。

 池田勇諦氏が言わんとする、同朋社会の“顕現に努める歩みの始まり”は、幾多の先師の方々がすでに開いてくれているのかもしれない。そのことに真の意味で気付いていくには、私自身が宗祖親鸞聖人に遇い、課題と向き合えるかどうかにかかっている。

武内 了温氏

同朋社会の顕現とは~自己・教団を貫いて~   執筆;池田 勇諦

 現行『宗憲』の白眉は、大谷派なる宗門が現代社会に存立する理由を明確に示していることであり、それは現代という時代社会の課題に対し、「同朋社会の顕現」をもって応えようとするものである。

 このことは改めて言うまでもなく、あの教団問題の苦闘をくぐった深い慚愧から生まれでた教団本来化の覚悟であった。

 ならば、そうした宗門の現在は、そのように歩んでいるのか。『宗憲』施行四十年の節目に立ち、避けて通れない喫緊の点検課題である。

 率直に言って、わたしたちは「同朋社会」を対象化して、どんな社会か、どうしてつくるのか、といった姿勢で、結局はつかみきれないままに、誰にでもわかるかたちで表すべきだとの声の高まりになっている現状ではないだろうか。

 私はここにあたえられた「同朋社会の顕現とは」に対し、改めて何がわたしたちに問われている課題なのかを問い返し、取り組みの姿勢を確認したい。

 さて、「同朋社会」といっても、そうした一つの社会や組織が、どこかにあるとか、つくるとかの論ではない。もしそれなら『和讃』に見える「九十五種世をけがす」(『真宗聖典』501頁)が、一つ増えて、“九十六種世をけがす”となるばかりだろう。

 ならば、何が問題か。注目すべきは、「顕現に努める」にあるのでないか。顕現は、顕は顕出で、覆われているものを顕わし出す、顕在化する動詞的意味で顕現である。

 それゆえ「同朋社会の顕現」が、個人と教団を貫いて、いかなる課題かは、すでに明確であるはずだ。

同朋会運動十五周年全国大会の熱意

 ひるがえって言えば、『宗憲』前文には、

  「すべて宗門に属する者は、常に自信教人信の誠を尽くし、同朋社会の顕現に努める」

とあり、これが真宗との値遇によって誕生する人間像であり、同時にそうした人の生まれ出る場となることを、自らの存在理由とする教団像でもある。

 一枚の織布でいえば、「自信教人信の誠を尽くし」は縦糸であり、「同朋社会の顕現に努める」は横糸である。縦糸があっての横糸である。縦糸は主体としての自己であり、横糸は主体がひらく環境としての社会である。

 その意味で自己と教団を貫く課題は、何よりも「同朋社会」を顕現する主体の獲得、すなわち「自信教人信の誠を尽くす」獲信であり、宗に始発し、宗に帰る「宗政」の確保、に立つこと。それこそが要請されていることでないか。

 だがそれは自我に立場する在りかたからは、成り立ちようのない仏事である。だからして主体の転換、意識変革を果遂せしめる聞法力、すなわち本願力の忝さに感動のほかはない。同朋会運動推進の意義、一にも聞法、二にも聞法、三にも聞法である。妙案などあるはずはない。

 わたしたちが真宗との出遇いによって、主体の獲得(縦糸)と、関係の創造(横糸)とを賜ることは、これを言いかえれば、信心の眼からいかなる社会が、世界が、見えるのかの問題である。したがってそれは信心がひらく人間観・社会観・国家観……である。

 「同朋」の語意は、「同一の法にもとづく朋友」であって、法にもとづくが急所だ。ある人の告白が痛く響く。「兄弟は他人の始まりというなら、同朋は他人の終りである」と。なぜか、差異のままに同一のいのちの真実・南無阿弥陀仏を根とする根源的連帯性に喚び覚まされたからだ。

 そうした根源的連帯への見ひらきは、却って我他彼此の対立に立つ差別・排除・支配の渦巻く現実を照らしださずにはおかない。それゆえここに、信心なる主体と、自我なる主体との緊張感の始まりが、「顕現に努める」歩みの始まりとなり、すでに同朋社会に賜る知見として、同朋社会を呼吸圏とする生きかたの始まりに相違ない。

 すでに同朋社会に在りながら/差別社会を生きる日々/この矛盾を/親鸞さまに炙りだされ/差別をつくる現実と/切り結んでゆく/歩みをいただく

この歩みのほかに、「顕現」の証があるだろうか。

立教開宗八百年を目睫の間とし 宗憲改正40年を迎えるにあたって

~同朋会運動の願い・教団問題の危機・宗憲改正の精神を踏まえて~➋

執筆;大垣教区光福寺住職・五辻信行氏

 第一の「すべて宗門に属する者は、常に自信教人信の誠を尽くし『同朋社会の顕現』に努める。」ということは、教学教化の場の創造とその持続性及び活性化の具体化です。

 これは、6年ほど前に本山宗務所に在職中、「教化センター構想」を議論していた時よく宗務当局も発していた言葉ですが、今どうなってしまったのでしょうか。その上「今日の同朋会運動は、その言葉だけが枕詞のように聞かれるだけで、実態が消滅寸前のところまで来てしまっている」との指摘をしばしば耳にしますが、このことに対する危機感がまったく無いように感じられます。

 教団問題のさなか、次々に惹起する事件を目の当たりにして皆が不安を抱くとき、ある先人が「教団問題があることは何の危機でもない。その危機感が無くなったときが本当の教団の危機だ」言われたことが思い出されるのですが、今こそがその危機を迎えているのでないかと強く感じます。又、1976年4月15日に本山大師堂(現御影堂)で開催された宗門危機突破全国集会に参集の人々に、作家野間宏氏が送ったメッセージ「本願寺の危機は日本文化そのものの危機である(一部抜粋/『祖師に背いた教団』田原由紀雄著105頁に全文掲載されている)」を聞いた人々は、教団問題の本質を問い直して自らの教学の課題・学びの姿勢と受止めて立ち上がっていかれました。

 今日私たちも、決め手を見いだせないまま下り坂を加速させるのではなく、 「白法隠滞」の今こそすべての僧侶は教学の研鑽に真摯に取り組み、世の苦悩の声に応答することができる教学を背景とした「言葉」を発信しなければならない時機に直面しているのではないでしょうか。

 特に、差別の問題に教学が十分応答できていないのでないかという問題があります。いわゆる、正依の経典及び七祖の論釈章疏並びに宗祖撰述の聖教の中にある「是旃陀羅」並びに「女人及根欠 二乗種不生」、「変成男子の願」、「名無眼人・名無耳人」そして「五障三従の女人」等々を「差別表記」と指摘する厳しい問題提起に対して、教学研鑽のいのちをかけた表明が未だないことは誠に深刻な問題であると思います。この3年ほど前から宗務当局がその取り組みを呼びかけている「課題の共有」も勿論大切なことです。すべての組、小会又は学習会の場において、その問題提起の声を聞き取って、正に問題とすべき視点を正確に押さえ、各々の聞法学習や法要儀式執行の課題とする必要があります。

 しかし、一住職・坊守や一門徒の取り組みでは、きちんと受止めきれる問題ではないようにも思います。そして、誰もが「なるほどそういうことであったか」と共感し慚愧できる、教学に裏打ちされた言葉を発することができないもどかしさがつのります。昨年私が所属する組の坊守会の学習会で、これら「差別表記」との指摘を受けている言葉の持つそもそもの歴史的社会的背景や先人の受け止めを手がかりに、私からそれらをご紹介しながら、これを今日只今私がどう受止めるべきなのかを共に考える取り組みに参加しました。参加者に十分なはたらきかけができたとは言えませんが、これからの学習の前向きな所感が多くの方から主催者に寄せられたことを聞いて、この取り組みの大切さを痛感しました。

蓮如上人五百回御遠忌に発信され反響を得たテーマ

 また一方で、大乗仏教において受け継がれてきた浄土の真実を顕らかにする歴史に参画した先達が、「すべての衆生を摂め取って捨てない真言」と「世間を超えすぐれた正法」に遇いがたくして遇い、いのちがけで受け継ぎ伝えてきてくださったにもかかわらず、「差別表記」と問題提起される「文言」を聖教に何故使用しなければならなかったのか。またそれを使用する意味があるのならこれを明らかにして、その問題提起に正面から応える視座が無いままでは、「課題の共有」も的確に行えないのでないかと思います。先学が遺してくださった仏の智慧を集めて、この問題に対する教学的見解が、一刻も早く宗務総長の責任において開示されることを待ち望みつつ、今後も「課題共有」の取り組みを進めたいと思います。〈つづく〉

2021年5月号

 本年6月に「真宗大谷派宗憲改正」から40年を迎えるにあたり、当紙では4回にわたって特集を行っている。3回目となる今月号は、宗憲前文に掲げられた「宗本一体」をテーマに取り上げていく。

 「宗本一体」(宗派と本山が一体)は、“宗祖聖人の真影を安置する真宗本廟は(中略)宗門と一体としてこれを崇教護持する”という基本理念である。私たちの宗門には、教団問題を発端として、宗門運営に関わる様々な面で江戸時代から続く封建的な体質があった。上記の「宗門危機突破全国代表者決起集会」に寄せて作家の野間宏氏は、“本願寺の危機は日本文化そのものの危機”と声を上げ、一連の問題が大谷家だけではなく、宗門に関わる全ての人の内に潜む体質として課題を共有した。問題克服の歴史には、宗祖のご精神に背いた現状を嘆き、歴史と伝統の本願寺を守ろうとされた先師のご苦労がある。

 今回は、教団問題の歴史を振り返るとともに、教団問題当初に参務を歴任された金沢教区第11組光專寺前住職の木越樹氏に「聞の一道に立つ」と題して執筆いただくとともに、引き続き元難波別院輪番の五辻信行氏の寄稿(第3回)をお届けする。

人ではなく教法が中心の宗門~教団問題から問われた封建体質

 1969(昭和44)年、大谷光暢法主は、訓覇信雄宗務総長に「管長職を新門に譲るので手続きを取るように」と一方的な通告を発した。いわゆる「開申事件」である。この時代、旧宗憲並びに旧本山寺法(条例)では、法主・本願寺住職・管長の三職は一人で兼務するいわゆる「三位一体」を基本とする法体系であった。開申はこの基本を無視するものであった。

『真宗』(2019年3月)を参照

 同朋会運動が提唱され、さまざまな取り組みが進められる中、「教団の封建的体質を克服しなければ、真の同朋教団は確立しない」との問題提起の声が次第に大きくなっていった。その問題の中心は、法主制であった。信仰上の絶対的権威として世襲により法灯を継承する能化者をもって師主とした。法主は本願寺住職となり、戦後の宗教法人法下では代表役員とした。また、明治政府によって各宗派に設置が求められた管長職は、戦後宗門で引き続き廃止されることなく、推戴手続きは定められてたものの、事実上法主本願寺住職が兼務し、同時に宗教法人法上の宗派の代表役員に当たった。いわゆる宗教上の絶対的権威と世俗の代表権が一人に集中し、内局の補佐と同意の規定が機能せず、トップが独断専行を始める第一歩が、はからずもこの開申事件となった。

 その後の教団問題は、次々に惹起する法主・本願寺住職・管長(代表役員)の職権乱用により、宗門は未曾有の危機に直面してゆくこととなる。おびただしい事件の一々を列記できないが、大谷の里5億円手形乱発や渉成園土地等不当処分などの宗門財産不当処分事件並びに宗務所不法占拠や法主・管長による決裁(允裁)拒否などによって宗務の停滞を引き起こし、かつ本願寺規則の変更や本願寺の宗派離脱声明を強行し本願寺を私物化しようとした事件など枚挙にいとまがない。これらに対する法的対抗手段として内局が提訴した裁判は、宗憲が改正され新門首のご就任を得るまでに数百件はあったと言われ、事件の大きさが窺える。

 特に、1979(昭和54)年の本願寺離脱事件では、これに連動して東京本願寺をはじめとする別院や各地の300余りの寺院が宗派離脱する中、同年11月にはいわゆる「分裂報恩講」と呼ばれる異例の事態を招き、多くの同朋の深い悲しみの中、次々に惹起する事件の解決を図って宗門正常化を果たそうとする取り組みから、宗門の本来化、すなわち「真宗の僧伽」を求める宗門世論が大きなうねりとなっていった。

 宗憲改正は、このような世論を背景として、1980(昭和55)年11月の即決和解(別項)をもって、翌年一気に実現を見ることとなる。

 宗憲前文の「宗祖聖人の滅後、…これがわが宗門の原形である」という一説は、宗派と本山本願寺の関係を端的に表現している。

 真宗本廟が宗門の中心であり、宗門人の帰依処であるとされるゆえんは、宗祖親鸞聖人のご精神が生きてはたらく「聞法の根本道場」を崇敬の中心とするのであり、宗教的権威者を中心とするのではなく教法を中心とし、教法に統理される宗門(僧伽/自帰依僧当願衆生統理大衆一切無碍)であることを再確認したものである。

 したがって、「帰依処」といっても特定の場所に拘るのではなく、教法の象徴として御影堂に安置されている宗祖親鸞聖人のご説法のお姿(御真影)を中心とするというのである。したがって、木越氏の言われる「真宗僧伽の本質は聞法教団である」に帰結する。


分裂報恩講…宗務当局は、宗門正常化を願う圧倒的多数の宗門世論を背景として、本願寺の離脱を企図する大谷法主とこれを擁護する一部の集団に対し、厳しい対応を余儀なくされた。法主を先頭に離脱寺院関係者が、大師堂(現御影堂)の正面から強行に入堂しようとしたが、内局並びにこれを支持する僧侶・門徒によって阻止され、広縁で正信偈を勤める異常な事態となった。
即決和解…「即決和解」とは、一般に裁判前の和解をいう。「教団問題」をめぐって内局と大谷法主は多くの裁判で対立していたが、宗派内手続きを取らず行った財産処分事件で京都府警の書類送検を注視した宮内庁の動きを後押しに、今日の新宗憲の法体系の基本を認める大谷法主との和解が、1980年11月4日に成立した。

先人たちの願いに背いていないか自問自答すべき

  宗憲改正では、法主制から、「門首」と改め、同時に管長並びに本願寺住職は廃止された。ここでは、教団が成り立つ信仰の中心(帰依処)が「人(法主)」ではなく、「法(教法)」の象徴である宗祖聖人の御真影を中心とする宗門であることが確認されたのである。

 この改正事業で、特に繰り返し唱えられたのは、「蓮如上人の真宗再興の精神」であった。その精神が最も強く反映されているのが、師主(法主)にかわる「門首」の位置づけであるといえる。

 現行宗憲では、【門首は、本派の僧侶及び門徒を代表して、真宗本廟の宗祖聖人真影の給仕並びに佛祖の崇敬に任ずる】とさだめている。また、【門首は、僧侶及び門徒の首位にあって、同朋とともに真宗の教法を聞信する】とも続く。

 この地位は、親鸞聖人の廟所(親鸞精神の生きつづける本廟)を建立した覚信尼、そしてその真宗精神の再興を果たした蓮如上人が担ってきた「留守職」に立ち返ったといえるだろう。これまでの「師主」、「能化」、「善知識」という存在ではなく、どこまでも門徒と共に教法を聞信する立場であり、すべての宗門人を代表して宗祖のお給仕とご崇敬を行うのである。

 宗憲改正では、法主制から、「門首」と改め、同時に管長並びに本願寺住職は廃止された。ここでは、教団が成り立つ信仰の中心(帰依処)が「人(法主)」ではなく、「法(教法)」の象徴である宗祖聖人の御真影を中心とする宗門であることが確認されたのである。

 この改正事業で、特に繰り返し唱えられたのは、「蓮如上人の真宗再興の精神」であった。その精神が最も強く反映されているのが、師主(法主)にかわる「門首」の位置づけであるといえる。

 現行宗憲では、【門首は、本派の僧侶及び門徒を代表して、真宗本廟の宗祖聖人真影の給仕並びに佛祖の崇敬に任ずる】とさだめている。また、【門首は、僧侶及び門徒の首位にあって、同朋とともに真宗の教法を聞信する】とも続く。

 この地位は、親鸞聖人の廟所(親鸞精神の生きつづける本廟)を建立した覚信尼、そしてその真宗精神の再興を果たした蓮如上人が担ってきた「留守職」に立ち返ったといえるだろう。これまでの「師主」、「能化」、「善知識」という存在ではなく、どこまでも門徒と共に教法を聞信する立場であり、すべての宗門人を代表して宗祖のお給仕とご崇敬を行うのである。

 宗憲が改正され、はじめて執行された1996(平成8)年「門首継承式」では、就任されたばかりの大谷暢顯前門首が、平座で外陣の一番前で一万人に達する御同朋御同行とともに「正信偈」を唱和した。さらに御真影を前に「宗憲に則り、本廟崇敬の務めを尽くし、いよいよ深く真宗の教法を聞信し、もって同朋各位の信託に応えんことをここに誓います」と表白(宣誓)されたのである。

 また、2020(令和2)年に就任された大谷暢裕門首も、「前門首が、『宗憲』を遵守し、新たな時代の門首のすがたを示され、本廟護持の一念によって責務を全うされたことに、深甚の敬意と謝意を申し上げます。(中略)私自身、尊いご縁に出会えたことを感謝しつつ、宗門人の願いが結実した『宗憲』を遵守し、真宗の教法を聞思し、仏祖崇敬の任にあたり、同朋社会の実現を期すことを、ここに宗祖の御真影の御前に誓います」と表白されている。

「門首継承式」で表白を拝読される大谷暢裕門首

 教団の歴史を振り返った時、我々は「教団問題」のみならず、宗祖並びに先人たちの願いに背いていないか常に自問自答すべきである。

 1976(昭和51)年、一連の教団問題に対して「宗門危機突破全国代表者決起集会」が開催された。そこで、作家の野間宏氏は、「本願寺の危機は、決して本願寺だけの危機ではなく、日本文化そのものの危機である。(中略)まずなすべきこと、それは現在徹底的にえぐりだされた危機の底に、各自がその身に担うことである」というメッセージを寄せている。これは、特定の「人」に問題性を置くのではなく、宗門に関わる一人ひとりが自分の問題として考えなくてはならないと訴えているのだろう。

 旧宗憲の法主制から現行宗憲の門首制への転換は、宗門本来化への目覚めであり、野間宏氏の「親鸞にかえれ」の具現化の第一歩であろう。そして「宗本一体」の宗門の組織理念は、真宗本廟としての本山本願寺の意義を闡明し、常に宗派と本願寺は一体として崇敬護持され、運営されなければならないことを意味する。このことを宗門人の主体的意思とその総力によって、宗門運営の根幹の一つとして定めたのである。

聞の一道に立つ   執筆;木越 樹

 私が十年間にわたる北米開教の仕事を終えて日本に帰国したのは、1967(昭和42)年11月でありました。訓覇内局の教育部長に任命されたのが1969(昭和44)年の4月、正に開申事件、教団問題勃発の渦中に飛びこんだ感があります。その折、大切な出会いがありました。

 真宗大谷派同和会(大谷派同和運動の創始者武内了温師の真身会の志を継ぐ戦後の組織)の朝野温知師(季寿龍・イスリョン氏)であります。着任早々の小生を訪ねて来られた第一声は、「同朋会運動はあぶない」ということでした。「同朋会運動には欠落しているものがある」という一言であったと記憶しています。封建的貴族構造のままで同朋会運動を進めても、御同朋御同行精神は観念でしかない。このままでは同朋会運動は思い上がりを生み出すばかりであるという一点だったと思います。

 それが露呈して我々の前に全貌をあらわしたのが、難波別院輪番差別事件をはじめとして続発して来た差別事件の数々であったと思います。糾弾会の席上での米田富・中央執行委員会委員(水平社創立以来の同人)の言葉を我々は忘れられません。

 「あなた方、さっきから聞いていると宗門の要職にあるものが差別事件をおこして済みませんでしたと謝ってばかりおられるが、一体あなた方は、ご開山さまに対して申し訳なかったと思われないんですか。私は、はばかり乍ら、ご開山さまの同行同朋だと思うておる者の一人だが、この本山には来たことがない。ここにはご開山は不在だ。親鸞さんのおられん本山には来たことがない」。

 これは、第二回水平社創立全国大会(1923年)の折に阪本清一郎氏、栗須七郎氏等、被差別部落門徒大衆が東西両本願寺を訪れ、「ここに親鸞さんは不在だ。われ等水平社運動は、ここに親鸞さんを回復する運動である」と叫ばれて以来の声だったのであります。

 部落解放同盟の小森龍邦先生が、今年に命終されました。数年前、教師修練スタッフの研修会で、「親鸞思想に信の社会性を学ぶ」と題して、「是旃陀羅」について講義をされたことを思い出します。観念的自己満足に留まっている私たちに「気がついているのか」と呼び掛けられ、欠落したものがあるとのご指摘であったと思います。親鸞思想に信の社会性を読みとっていかれた小森氏の眼はきびしく、そしてあたたかいものであったことを思い出します。

 教団問題は、三位一体(別項)の体制から惹起した問題ではありますが、これは誰か一人の個人が悪かったという問題ではありません。教団が、われわれ自身が、絶対的権威としての「法主」を生み出し、その権威を信仰の中心(求心力)としてきた僧伽の問題として捉えなければなりません。

「教団問題」に係る事件が起こる土壌を、宗門人自らがつくっていることに気が付いていないという問題がありました。

 同朋会運動を推し進めていく中でも、部落差別問題、人権問題、靖国問題と、次々に起こることも社会問題として信心の問題ではないと分断して見ていく。指導する立場の方の差別発言も、差別であると見抜く智慧が、同朋会運動の只中でも見落とされ欠落していたのです。この問題は、今もなお、「教団体質」として、私たちは抱えていることではないでしょうか。その体質を克服するはたらきが、「宗憲」となって表現されているのです。宗憲改正の論議の中で、最も強く、しかも繰り返し言われたのは、蓮如上人の真宗再興の精神です。

 私は、真宗僧伽の本質は聞法教団であるという一点にあると思います。

 問われているのは、私自身です。宗憲は変わりました。宗門の使命は「同朋社会の顕現」です。言葉だけに終わってはなりません。改革は宗門本来化、親鸞に帰れという門徒大衆の願いを自己自身の課題とするものでした。寺格堂班徹廃で止まってしまってはならないと思います。

 今の教団が念仏の僧伽になっているのか。僧伽に対する責任が欠けているようでは、同朋会運動は観念に

終わってしまいます。そうい

う課題をもって、これからの宗門の歩みとして、聞の一道に立ちたいものです。

立教開宗八百年を目睫の間とし 宗憲改正40年を迎えるにあたって

~同朋会運動の願い・教団問題の危機・宗憲改正の精神を踏まえて~❸

執筆;大垣教区光福寺住職・五辻信行氏

 第二は、「真宗本廟は宗門と一体としてこれを崇敬護持する」という「宗本一体」の基本精神に背反する考え方が、宗務執行のいかなる分野においても、あってはならないということです。1979年に突如発表された「本願寺離脱」なる前代未聞の事件は、現行宗憲下では二度と起こらないと安心して40年過ごしてきました。しかし、中央と地方を分断するような運営を、中央宗務執行機関の側から積極的に指向することがあるなら、これは誠に重大問題であり、この宗憲の立憲の精神に背反する方向であると危惧します。

 もちろん教区や組並びに寺院ごとに、その特性に応じて教学教化に係る固有の事業を積極的に推進するため、これに必要な財政基盤を主体的に確保することは大切なことです。しかしながら、同朋会運動を推進する基幹事業は、宗門挙げて取り組んできた歴史を受け継ぎ、これからも連帯・共同して進めるべきであり、同時にこれに必要な懇志金を集める場合も、基本的には一本化して取り組まなければなりません。


 懇志を拠出されるご門徒の方々は、昔から「ご本山のため」という「愛山護法」の念により、率先してご懇念を運ばれました。「愛山護法」ということは、必ずしも中央から呼びかけられるべき言葉ではなく、また「ただ闇雲に本山を大切に敬い、よく分らなくてもとにかく仏法を護るんだ」と言うことでは決してありません。かつて私の直属の上司であった財務長が「法施財施の懇志教団」ということを大切にして所信表明演説をされ共感を得たように、「生きてはたらく如来の教法をこの私一人の身に受けることができた歓喜と謝念」に満ちあふれたご門徒の主体的態度表明を懇志(ねんごろなるこころざし)というのであります。この伝統を受け継ぎ、激変する内外の宗教的環境に即応するかたちで、同朋会運動は「純粋なる信仰運動であり、全生活をあげて本願念仏の正信に立っていただくための運動である」として、どこまでも「信心の回復」が願われ、真宗同朋会の会費ではなく「同朋会員志金」と称されてきました。

 法主並びにこれを擁護する一部の寺院関係者の度重なる独断専行に、各教区から批判の声が上がった。1976(昭和51)年4月15日に開催された「宗門危機突破全国代表者決起集会」には、宗門の行く末を案じる僧侶・門徒4500人が、筵旗を高く掲げて本山の白洲を埋め尽くした。

 したがって、「中央及び地方の宗務機関は何のためにあるのか」ということについて論じる場合も、その根本問題は「同朋会運動の更なる推進に必要な業務」であって、そのための「教化体制の確立」並びに「財政基盤の確立」及び「効率的な地方宗務機関の再編成」という問題が一体的に論議されなければならないと思います。昨今の論議の推移を注視していると、「これから先、同朋会運動をどのように推し進めて行こうとするのか」ということが必ずしも明確にならないまま、財政改革と組織機構の見直し論議が分離先行してしまっていることを危惧します。

 その理由は、かつて宗祖御遠忌を総括した宗務改革の指針の中で「宗門が直面する課題」と掲げる3点を、「①社会環境の変化、②少子高齢化・過疎過密、③宗門の財政状況」とされました。しかし、何年たってもそこから一歩も踏み出されていないことに問題があります。確かにこれら3項目は社会環境を的確に捉えた重要な要素ではありますが、宗門が本気で同朋会運動を推進するとき直面する本来的課題は次の3項目であり、これを主体的に受止める必要があります。

❶真宗の土壌(土徳)の砂漠化が始まって久しい(念仏者に出遇うことが難しい)

❷若い世代に「本願」が響く言葉を生み出せていない(共有されていない)

❸世界人類に「本願」が響流し教法が弘まる言葉の翻訳が為されていない

 この3つの課題が共有されれば、財政改革も組織機構改革の目的も自ずから「同朋会運動の推進」にすべて帰結するはずです。万一この本来的課題を目的としない改革論議があるとすれば、これらは文字どおり的外れで、「同朋会運動の推進」を棚上げした「財政論と組織いじり」に陥って、宗門は先細って行くばかりのように思えてなりません。

 これでは、同朋会運動の源流とも言える「宗門各位に告ぐ」や「宗門白書」の御一流とは異なるばかりか、同朋会運動を推進するために制定されたとも言われる現行真宗大谷派宗憲の立憲の精神に背反する取り組みと言わざるを得ません。〈つづく〉

2021年6月号

  1981年6月11日付で、新しい「真宗大谷派宗憲」が公布施行された。本年6月は、その40年の節目を迎えることとなる。

 当紙では4ヵ月にわたって、その宗憲が改正された背景や意義を特集してきた。最終回となる今月号では、宗憲前文に掲げられている宗門の運営理念である「同朋の公議公論」について取り上げるとともに、全4回の特集の総括を掲載する。

 真宗大谷派宗憲が改正された背景や意義を訪ねてみると、その立法の精神から現代の宗門の在り方そのものが問われてくる。宗門的課題を共有するためにも、この節目を大切にしたい。

 また今月号では、真宗大谷派参議会議員の中嶋ひろみ氏に「宗門は誰のためのもの~信心をいのちとする教団の願い~」と題して執筆いただくとともに、引き続き元難波別院輪番の五辻信行氏に寄稿(最終回)いただいた。

“御同朋御同行”の実践~開かれた教団運営をめざす

  真宗大谷派という宗門の原形を訪ねてみると、宗祖がお亡くなりになった後、関東のご門徒がそれぞれに志のお金を出し合って一宇の祖廟を建てて、そこに宗祖の御真影を安置し、今現在説法の聖人に対面して聞法に励まれたと伝えられる。

 宗憲改正では、そのことを基本に御真影を安置している「真宗本廟」を帰依処(聞法の根本道場)であるとするとともに、その運営は全国の門徒によることが明らかにされた。つまり、宗門の管理運営は、“全国の同朋の総意”で行うことが本来基本なのである。

 宗憲前文には、「この宗門の運営は、何人の専横専断をも許さず、あまねく同朋の公議公論に基づいて行う」とあり、いわゆる御同朋御同行の精神に則った宗門運営の根幹が明らかにされている。これは教団問題(5月号詳細)を大きな契機として、教団の運営そのものが厳しく問われたことも一つの要因としてある。そこで改めて、宗門の原形に立ち返る運営の根幹を明確に示されることとなったのである。

 また、教団問題から宗憲改正に至るまで、「宗門の正常化」が各方面から叫ばれる中、特にご門徒からの声が宗門を突き動かす大きなエネルギーとなった。

 そもそも旧宗憲下においての宗門は、理念としては同朋教団を標榜しながらも、運営上は僧侶と門徒の宗政参画の権限が区別されていた。当時の宗門運営では、門徒の代表で組織する「門徒評議員会」が設置されていたが、財務と門徒に関する事項の議決権しか認められていなかったのである。つまり、宗門運営が僧侶に偏ったものになっていたのである。

岩田 宗次郎氏

 当時、門徒評議員会の議長や現参議会の初代議長も務めた岩田宗次郎氏は、「僧侶も門徒もみなすべて御開山聖人の門徒同行と言うでないか。せっかく宗憲を改正するならご精神にかなった形にすべきだ」と述べられていたという。

 そこで宗憲改正によって宗門の運営は、改めて“同朋の総意”に基づいて行わなければならないことが確認され、宗門の運営理念として「同朋の公議公論」が掲げられたのである。

 その内容とは、宗門の最高決議機関として位置づけた「宗会」を設けて、僧侶たる議員によって組織される「宗議会」とともに、門徒たる議員によって組織される「参議会」が新たに設置され、「門徒評議員会」はその役割を終えることになった。

 参議会には、宗議会と同様に宗務総長の指名をはじめ、すべての議案にわたる議決権、議案の発議権が与えられた。

 宗憲改正後の宗門運営は、この二院制による両議会を両輪とした「同朋の公議公論」を尽くす議会制度が実現されたのである。

2019年に開催された参議会の様子

 これによって、ご門徒方の宗政参加への道が開かれたことになるが、押さえておくべき事柄としては、「同朋の公議公論」は、ただ単なる公平な議論を交える民主化による運営を超えて、共なる「同朋」として宗祖の教えを聞信する求道者の自覚に立ち、実践していくことが誓われているのである。

 どこまでも宗祖の教えを要とした御同朋御同行の実践によって開かれた教団であり、この運営によって同朋社会の顕現に努めていかなくてはならない。

無関心こそ危機の始まり~“同朋の公議公論”が果たして尽くされたか

 宗門は、この運営の基本理念を、決して見失ってはいけないわけであるが、本当に同朋の公議公論が尽くされているのかが、課題となる時がある。

 別項の五辻氏や中嶋氏が指摘されるように、昨年からの新型コロナウイルス感染症という有事における宗門の動向には、各方面から様々な論議が起こった。しかし、そのことも「同朋の公議公論」が果たして尽くされたであろうか。

宗憲改正の主旨説明が行われた内局巡回(1981年・大阪教区)

 これまでの特集においても「是旃陀羅」の問題(4月号)や、教団問題から宗門に関わる一人ひとりの自覚(5月号)について現代的な問題として触れてきた。これに対しての宗派の動向というものに、果たして私たちはどれだけ自分の問題として関心を持っているだろうか。あたかも「本山がやっていること」として、無関心のまま、危機感もないままに終わらせてはいないだろうか。

 かつて同朋会運動を提唱された訓覇信雄師は、「宗門に危機があることは何ら危機ではない。危機感を失ったときが、本当の危機である」と教示されている。私たちは、宗門にかかわる一人として、どのような危機意識に立っているだろうか。

 宗門が辿ってきた歩みを改めて見つめ直し、宗門運営の根幹である「同朋公議」について、今一度確かめていかなくてはならない。

いくら制度を変えても人が変わらなければ…

 これまで当紙では、「真宗大谷派宗憲改正40年に寄せて」と題して、3月号から4ヵ月にわたり特集してきた。 

 宗憲改正の立憲の精神や成立の背景と願いについて、宗憲前文に明示された三項目から順次取り上げてきたが、これらの課題から現実の社会の問題に呼応した宗門として存立できているかが厳しく問われてくる。

 宗憲前文で誓われていることは、そのまま宗門が現代社会に在ることの意味を闡明している。これは、本山や教区に限らず、全国の一ヵ寺一ヵ寺、全ての寺院の存在意義に直結する。40年の時を経て、その立憲の精神を改めて確認する勝縁を、慶讃法要を目前にした今、いただいているのではないだろうか。

 また今特集では、宗門の近代化における重要な「同朋会運動」「教団問題」、そして「宗憲改正」について訪ねてきたのは、これらを過去のこと、昔話として語るのではなく、このことを踏まえた現在でなければ、未来はない。

 かつて清沢満之師は、「いくら制度を変えてもそれを支える人が変わらなければダメだ。今後は人の養成に尽力する」と言われ、浩々洞を生み出し、同朋会運動へと連なっていった。

宗門改革を訴えるため結成した大谷派事務革新委員及び有志者の集合写真
浩々洞から刊行された雑誌『精神界』(復刻版)

 激動の時代に携わってこられた先人方のご苦労もさることながら、改めて親鸞聖人を宗祖とする宗門の源流が流れていることを決して忘れることなく、一人ひとりが念仏者としての歩み、念仏の僧伽としての教団である意義を自覚していかなくてはならない。

同朋公議を尽くす活発な議論の輪を

 宗門における具体的な現代の課題として、このたび五辻信行氏から全4回にわたって執筆いただいた。そのご指摘いただいている内容について、読者の方々からは様々なご意見やご感想があると思われる。それこそ、「活発な論議の輪」が広がることが、「同朋の公議公論」を尽くしていく教団の在り方であり、歩みとなっていく。是非、ご意見、ご感想を編集部まで寄せていただきたい(別項詳細)。

ご意見をお寄せください

 難波別院編集部では、4ヵ月にわたる特集「真宗大谷派宗憲改正40年に寄せて」のご意見やご感想を募集しています。難波別院教務部(06-4708-3275)、やメール(kyoumu@minamimido.jp)等でご連絡ください。お待ちしております。 なお、同特集の記事は、Webサイト「南御堂オンライン」(https://www.minamimido.online/)で閲覧することができます。是非ご覧ください。

宗門は誰のためのもの~信心をいのちとする教団の願い~   執筆;中嶋ひろみ

 同朋社会とは、「御同朋の自覚に結ばれた人間関係」によって築かれる社会です。それは、「真宗の本願念仏の教えが生み出す社会」とも言えます。私たちは、先達の歩いたように本願念仏の教えを聞信しながら歩み続け、教えに照らされる中で自分自身の実相に気づき、社会のあり様に目を向け、聞思しながら御同朋と共に歩んでいきます。

 今、宗門を見ていますと、ややもすれば、軸足が教化より社会問題にかかわる方に移っているようにも見えます。

 あるお寺さんから聞いた話ですが、自坊の門徒さんが住職に「社会問題ばかりでなく、教えについて話して欲しい」と懇願されたそうです。ここにも門徒の寺ばなれの問題が潜んでいる気がします。

 「同朋社会の顕現」をめざす大前提は、「常に自信教人信の誠を尽くす」とあります。門徒の求めるもの、門徒の声も聞きながら、共に聞信し教化しながら、念仏者を生み育てていくことを決して軽んじてはならないと思えるのです。

 宗憲改正により、門徒による議決機関として「参議会」が新設され、全ての議案にわたる議決権をもつようになりました。しかし、議員として宗政に関わっていますと、まだまだ門徒の宗政参加が不十分なことが多いと思います。

 例えば、色々な宗務審議会において、全審議員における門徒の割合は大概一から二割です。また、政策につながる情報は宗議会には事前に開示されたり説明をされますが、参議会には最小限度の説明しかなされません。

 参議会に求められるものは何なのでしょうか。

 参議会議員の中には、色々な職業の方、経営者、地方議会の議員など、豊富な知識と経験の持ち主が多くいます。そして、代々教えを受け継いできた方々です。また、何よりも宗門の行く末を案じ、宗門を護持してきた方々です。宗政を方向づける時、僧侶の視座のみでなく、もっと門徒の視座が必要だと思います。宗門は「同朋公儀」を実践し、広く衆知を集めてこそ、宗門運営が十分になされるのではないでしょうか。


1981年5月23日招集の門徒評議員会で宗憲改正案を全会一致で可決した。投票総数194票(現場出席者156票・委任状38票)

 昨年の宗会の折り、宗務総長は「宗派経常費御依頼額を5億円減額すること」を明示され、議会の承認を得ました。

 しかしその10日後に、議会に何の相談・承認もなく、「更なる5億円減額」を発表されました。

 きっと、コロナ禍の下で大変な思いをしている寺院・門徒のことを慮って、苦渋の決断をされたのでしょう。

 しかし、これは宗憲第94条「本派の財政は、両議会の議決に基づいて、これを処理しなければならない」に反するのではないでしょうか。この「更なる減額」に対する内局の説明を聞いて、ある参議会議員さんが「護持金が更に一割減っても、門徒にとっては一戸あたりわずか千円位の違いにすぎない。もっと門徒を信頼して下さい」と言われました。

 一方、本山はと言えば、コロナ禍の下で行事が中止され、その分経費も大幅に減りました。人が集まらなくなるので、至るところで、歳入も大きく落ち込みました。「経費削減」の大号令のもと、本来行われるべき施策まで中止が相次ぎました。また、「更なる減額」とは裏腹に新たなる増収策でお金を集めるという何とも不思議な現象まで起きています。

 一体、誰のため、何のための更なる減額だったのでしょうか。

 私は、十数年前、こんな疑問がありました。「宗門は一体誰のためのものでしょうか」と。幾人もの先生にお尋ねすると、元教学研究所所長の西田真因先生が、「宗門は門徒のためのものです。但し、ここでいう門徒とは、僧俗を含めた同朋です」というお答えを頂きました。

 本来、浄土真宗は他の宗教教団のように僧侶中心の教団ではなく、「僧俗を超えた門徒」の教団です。常に僧侶門徒が一緒になって歩んできました。

 それは宗祖親鸞聖人の生き方によるものです。

 宗祖は名もなき人々と共に生き、彼らの苦悩に寄り添いながら教えを伝え、教えに生きていかれた方でした。

 また、浄土真宗の歴史を振り返りますと、教えにふれた名もなき人たちの寄進によって、その門徒の小さな力の集まりが、やがて大きな力となって、全国に立派な寺院が建ち、真宗本廟も四度の焼失から再建されました。

 宗憲改正は、「開申事件」に端を発し、次々に大谷家をめぐる、様々な財の問題が起こり、大混乱に陥いった末に成し遂げられました。それは、このような「権力の乱用」を防ぐための法整備の側面が大きいです。

 がしかし、その底流に「念仏成仏是真宗」、信心をいのちとする教団への願いが流れていることを忘れてはなりません。

 私たち門徒が、護持すべきものは、法義相続であり、聞法道場であるお寺や宗門です。

 このコロナ禍の下、寺ばなれが一層進んでいますが、聞法道場に集い、教えを聞き、教えに育てられながら生きていくことが、願われているのではないでしょうか。

 そして、私も宗門のためと頑張ってきました。それは大谷派なる宗門のお育ての中にいるからです。


立教開宗八百年を目睫の間とし 宗憲改正40年を迎えるにあたって

~同朋会運動の願い・教団問題の危機・宗憲改正の精神を踏まえて~❹

執筆;大垣教区光福寺住職・五辻信行氏

 宗門運営の基本である「同朋の公議公論を尽くす」ことが困難かつ危うい状況にあることに関連し、率直に現下の宗政・宗務を批判的に論考します。あくまで 誤りなき宗門の将来展望が切り拓かれるため、宗憲の立憲の精神に背反することが本当に無いかを読者の皆さまと共に確認したい一心であります。

 さて、宗参両議会議員の皆様には「コロナ下」で議場への参集が困難な中、宗門の最高議決機関たる宗会の使命と責任を全うするため、この一年間命懸けで尽力されていることに心から敬意を表します。また宗務当局も難しい判断にしばしば直面されながらも、大きな混乱に至ることなく宗務が進められつつあるようでご苦労の極みです。

 しかしながら、議場に参集して議決することを基本とする宗会制度を書面審査でも行い得るような改正があまりにも性急かつ当然のように取り沙汰されたり、宗務当局の宗会での財政表明と宗務執行の現実との乖離が生ずるなどの事態は、看過できない重大な問題でないかと心配します。このたびの連載でこの問題を取り上げないでは、「同朋公議」を論じても空論に終わってしまいますので、恐れながら慚愧と悲歎の念を賜わって簡潔に所見を披瀝します。

 先ず第一に、宗務総長が宗会で表明される所信表明並びに宗務執行方針は、宗門にとって極めて重いものがあります。特に宗門の最高議決機関たる宗会の決定を得た後の方針に対しては、すべての宗門人がこれを尊重し協力しなければなりません。したがって、宗務執行機関においては、よほ

どの問題があったとしても、

宗会又は参与会及び常務会の了解を得ずこれを変更することは、当然議会軽視の批判を免れません。今回のような御依頼総額の変更など、予算に係わる数値を大幅に変更することは、宗憲第94条の財政処理に直結し、最高議決機関たる宗会の決定を遵守すべき基本に抵触する恐れがあります。

 第二に、議員が議場に参集して議論を尽くし採決・決定する現在の宗会制度(現場表決)の基本を度外視し、緊急事態だからといって書面審査で賛否を送付して決定したことにし ようとする改正案は、慎重にも慎重を重ね論議されなければならないと思います。近い将来発生するとされる南海トラフの大地震災害等に備えた対応の中で、他の様々な分野の問題も包含した総合的な想定と分析をもって、あくまで最高議決機関の宗参両議会議員一人ひとりの主体的権限と責任が損なわれない方法で、議決手続が適正かつ厳格に行われる配慮が必要です。

 ところで、第一の問題に係わって両議会の正副議長が合同して宗務総長に対し、懸念の意を文書で手交されたと仄聞しています。これが事実なら憲政史上前代未聞の異常事態かと思いました。と同時に、宗憲改正委員会の論議の中で、宗務総長に権力が集中することを問題視する意見が出されたとき、宗務執行権の暴走を是正するのは当然宗会であるから、その機能が発揮されれば心配ないとの正論が主流でした。その時、「内局不信任の議決権を持つ宗議会がきちんと機能しなかったらそれは絵に描いた餅で終わる」と異を唱えた門徒代表の方々の顔ぶれを思い出しました。

 その方々は、その後も参議会の存在意義を厳しく確かめつつ、今日の「宗参両議会並行審議」の主旨が実質的に機能するよう、参議会議員として命の限りその使命を全うしていかれました。その理由は、内局の宗務執行の適正並びに宗議会の内局信任・不信任の判断・機能に重大問題が生じているときは、参議会は常に一丸となって、「予算の全会一致の否決」を生殺与奪の剣とし、内局と宗議会に対峙・牽制する、いわゆるチェック機能を果たすことを参議会の最大の使命とするという覚悟でありました。これこそ門徒の宗政参加の真骨頂であるということです。

 今あらためて思うことは、40年前に同朋会運動の再出発を願い、教団問題の危機を越えて現行宗憲を成立させた先人のご苦労に報いるためにも、小手先でなく立憲の精神に立ち帰って論議を尽くし、教団の立て直しの方向を的確に見定めた上で立教開宗八百年を迎えなければ、教団存立の意義を再び見失うのでないかということです。(完)